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生ごみの素顔

森 雅志 2009.01.05
 2,000年度の実績でみると1人が1日に排出する家庭ごみの量は全国平均値で660gである。ところが富山市民の実績は694gとなっている。つまり富山市民は全国平均よりも沢山のごみを出しているということだ。過剰包装や不要な物の家庭への持込など様々な理由が考えられるが、何とかしてこの量を減らさなくてはならないと思う。現在の計画では2016年度までに、この1人1日の排出量を30%減にすることを目標としている。皆さんの協力と努力をお願いしたい。
 さて、家庭ごみの中でも大きなウエイトを占めるのが台所ごみ、いわゆる生ごみである。日本全体では約1,900万トンの食品廃棄物が発生しており、これは世界の食料援助量の3倍に相当している。実に膨大な量の生ごみを出しているものだと驚かされる。しかしもっと驚くことは、その生ごみのうち約4割の量がまだ食べられるのに捨てられたものであるということだ。そしてその食べられる廃棄物のうち約3割が手付かずの食品なのである。賞味期限切れを理由に手付かずのまま捨てられている物の如何に多いことか。実にもったいないことだと思う。我が家の娘たちも賞味期限を一日でも過ぎた食品は絶対に食べようとしない。その期限はメーカーの判断で設定された目安に過ぎないことをいくら説明しても効果がない。世界には餓死している子供が多く存在するというのにとんでもないことだと思う。罰当たりな時代になったものだ。
 そもそも食べられるか否かの判断は自分の舌でするものじゃないか。誰かが定めた基準日に振り回されているのは滑稽でさえある。冷蔵庫が無かった時代には必要な量だけ調理し、悪くなる前に食していたものだ。時にはほとんど悪くなったオカズが食卓に出たこともある。食事どきに指摘すると、「やっぱり悪くなっとったけ」などと言って笑って下げていった祖母の様子が思い出される。
 そこまでの極端は言わないにしても、食べられる食品廃棄物を減らす努力は必要だと思う。食べられるものを捨てながら食料自給率の低いことを論じるのは変だと思うからである。それぞれの家庭で食べ物を無駄にしないように気をつけたいものだ。買いすぎない。作り過ぎない。残さず食べる。食材は使い切る。冷蔵庫の整理整頓。先ずは我が家から実践しなくては…。

 先月のエッセイで、昔の話だと断りながら、郵便物の宛名が不正確だと配達されないことが多かったと書いたところ、現場の方から徹底的に配達先を探して配達しているのでそんなことはないとの指摘をいただいた。確かに我が同級生にも呉羽の殆どの世帯の家族の名前を記憶している郵便局員がいたし、現在は住所が不正確でもキチンと配達されていることも分かった。僕のかつての記憶が強すぎたということだ。全部がそうだという印象を与えたとしたらお詫びして訂正し、その上で集配のご苦労に感謝したい。なお、前回のエッセイで市役所の対応が機械的なのではないかと述べた点については柔軟に対応していることを確認したので報告しておきます。