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環境モデル都市の覚悟

森 雅志 2009.02.05
 富山市は昨年7月に環境モデル都市に認定された。政府による二酸化炭素の削減計画募集に対し、全国の89都市から申請があった中で、富山市を含む6都市だけが認定されたのである。その意味では大変にありがたいことだと思う。しかしこの認定の意味するところは、モデル都市の二酸化炭素の排出量が少なくて成績が良いという意味ではなく、将来に向けて二酸化炭素の削減が期待できる都市であるという意味の認定なのである。
 富山市の現状は決してほめられるような状況にはなく、様々な取り組みによって二酸化炭素排出量の削減を目指さなければならない。特に極端に車に依存している暮らし方を改めることが効果的である。そのために、公共交通を活性化させながらコンパクトなまちづくりを進めることを計画の中心に位置づけたことが評価されたのである。モデル都市に認定されたことによって環境問題へのアプローチが予算的にも有利になる反面、しっかりと結果を出すという責任を負う。自動車一辺倒の暮らし方から公共交通も使う暮らし方へ転換し、車の相乗りやエコドライブを心がけるなどの変化が求められているのである。
 温暖化は必ずしも二酸化炭素だけが犯人ではないという意見があることも承知している。そういう論者であっても化石燃料よりも自然エネルギーの使用を伸ばすことのほうが良いことは否定できまい。そういう意味からも小水力発電や太陽光発電の利用、さらには木質ペレットなど木材資源の活用などを進めることも大切だ。いずれにしても環境問題に本気で取り組むことが重要なのである。
 僕を含め、人間は易きに流されるものだ。自分も当事者だという意識が希薄になり、他人事のように考えがちだ。そんな考えを払拭するために最近知った話を披露したい。
 太平洋戦争の際、わが国では戦況の悪化に伴い配給、統制経済を余儀なくされ、「欲しがりません勝つまでは」の精神で必死に戦った。
 一方、アメリカは日本と違い、潤沢な資源や資金を背景にして豊かな国民生活を維持しながら戦争していたものと僕は最近まで思っていた。しかし事実は違っていた。アメリカも戦時下においては大変な覚悟で軍需目標の達成のための統制をしていたのである。自動車メーカーは飛行機や艦船の製造に特化し、3年間にわたり自動車の生産がストップしたのである。また生活道路や高速道路の建設も中止となり、余暇のためのドライブは禁止、タイヤ・燃料・砂糖などの配給制が実施された。その結果、アメリカは3年間で229,600機の飛行機生産を成し遂げている。この短期間での物資の動員の事例は、国が本当に必要であると認識したことに国民が覚悟を持って対応すれば驚くほどの成果を遂げうることを示していると思う。
そして今、国も世界も環境問題への対応を強く求められている。我々市民が覚悟を持ってのぞめば目標は達成できるはずだ。環境モデル都市の覚悟を見せたいものだと思う。