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靴音 はずませて

森 雅志 2009.07.05
 僕が高校一年生の時の出来事である。その頃僕は呉羽駅から富山駅まで北陸線に乗って通学していた。一駅だけとは言え、雪が降ってダイヤが乱れると授業に遅刻してしまうことがあった。当時はそんな時に、富山駅で列車の遅延証明書を発行してくれ、それを学校に提出すると遅刻扱いにならないということになっていた。ある朝、教室に入った僕はその遅延証明書を先生に渡した後、当たり前の顔をして自席に向かったのだが、その先生に厳しく叱責されてしまったのであった。いくら雪のせいとは言え、遅刻した者が靴音を響かせながら大きな顔をして歩くもんじゃないと諭されたのであった。生意気盛りの年頃である。醜悪な態度だったに違いない。僕の靴音が教室中を不快にしたのであった。今思えば赤面のいたりである。
 先生の指摘を受けて僕は直ぐにわが身を恥じた。不遜な態度を悔いた。そのときの反省は今も忘れない。おかげで身を慎むことを学ぶことができたと思っている。
 靴音は不思議なものだと思う。心がウキウキしている人の靴音は軽やかに聞こえるし、悲しみを帯びた人のそれは沈んで聞こえる。あの朝の僕の靴音は無遠慮で生意気な音だったのだ。爾来、靴音のみならず自分が発する音に気をつけている。テーブルに物を置く際にも、ドアを閉める時にも、どんなときにも周囲への配慮が大切だと思っている。実践できているかと問われるとあやしいものの…。
 同じ靴を履いていても、元気に歩道を闊歩する時と病院の中を歩く時とでは歩き方に差をつける人は多いと思う。そういうチョットした気遣いや配慮が大切なのだ。ところが最近は、この歩き方の配慮ができない人が多くなっていると感じる。ひどい人は美術館の中でもハイヒールの靴音を響かせて歩いている。まったく音を消せなくても静かに歩こうとする姿勢は取れるはずだと思うのだが…。
ここで調子に乗って苦言を言わせてもらおう。最近、市役所の階段を上り下りする女性の大きな靴音が耳障りだと感じるのである。まるで怒っているかのような音を立てて歩く人さえいる。もちろんほんの一部の人であろう。庁舎の階段室がとりわけ反響する構造なのかも知れない。女性の靴はヒールの造りが違うのでやむを得ないのかも知れない。それでも、せめてもう少し気遣いを感じることのできる靴音で歩いて欲しいと思うのだが…。
ときどき靴音の大きな女性とすれ違うことがある。彼女たちは僕がそんな思いでいることにはまったく気付いていない風だ。まったく無頓着なのである。考えてみれば悪意も罪もない話なのだ。そもそも僕以外には誰も気にしていないことなのかもしれない。でもそんな時に僕は、高校の頃のエピソードを思い出しては苦い思いを抱いているのである。
 梅雨が明ければいよいよ盛夏だ。サンダル姿が輝く季節。どうぞおしゃれなサンダルの音を響かせて夏を満喫して欲しい。(でも、チョットの配慮をお願いしますネ。)