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お酒は二十歳になってから

森 雅志 2009.10
アメリカでは未成年者への酒類の提供が厳しく規制されていることが多い。だからレストランの中であってもアルコールを注文するとパスポートなどの身分証明書の提示を求められる。僕らの世代であっても提示を求められることもある。いくら日本人が若く見られることが多いと言っても、僕が未成年に見えるわけがないから機械的に対処しているということか。アメリカの国内線に乗ったときに、どう見ても僕の親のような歳の男性がビールの注文に対して身分証明書の提示を求められて腹を立てていた様子が忘れられない。
 最近は日本国内でも未成年者に対する酒類の提供が厳格になっているようだ。居酒屋の店内で具合の悪くなった若者が未成年だと分かると救急車を呼んでくれず、店外に出てから自分で呼ぶように言われたという話を聞いた。未成年者に酒類の提供をしたことの責めを負うことを恐れてのことだろうが、ここまでくるとさすがに何か変だと思う。
 ともあれ、未成年者の飲酒や喫煙は禁じられているのだからその運用を厳格にすることは当然のことだ。タバコについては自動販売機に改善が施され未成年者が買いにくい社会になってきた。コンビニなどの対面販売においても身分証明書の提示が進んでいるようだ。酒類の販売についても同様であろう。富山市内のレストランでも未成年者とおぼしき人には年齢を確認しているという話を聞いた。だんだん古典落語の世界から遠くなっていくものの、成人の自覚を身につけるうえからも良い流れだと思う。
 しかし、大人であればどんな風に飲酒をしても良いというわけじゃないことは当然だ。酔うと誰でも少しは平常じゃなくなるものだ。だからこそ周囲に迷惑をかけない「わきまえ」がもとめられる。綺麗に酔うことが求められる。(上手にできない我が身が恥ずかしい。) 未成年者の飲酒や喫煙が禁じられている所以はまさにそこにあると思う。人間としての経験が浅いだけに綺麗に楽しむことができず時には暴走してしまう。場合によると酒に溺れてしまう。酒に溺れる大人がいることはしようがないとしても、将来ある若者をそんな風にするのは社会的損失である。だから分別のつく年齢になるまで禁じられているのだ。若い世代の為に言わせてもらえるなら、ぜひとも上手に、かつ綺麗に酒と付き合って欲しいと思う。自らへの猛省をこめてそう思う。
 ところで、以前、酒席の余興に小学生のヨサコイが出てきたことがあり驚いた。酔った大人が余興に子どもの踊りを楽しむというの
はあまりだろうと思う。未成年者の飲酒以上の深い問題をはらんでいると感じるのだが…。
忘れてしまいたい思い出である。