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桜は咲いたか…

森 雅志 2010.04.05
 いよいよ4月である。今年の桜の見ごろはいつになるのやら。チンドンコンクールは4月の9日から11日までなので、桜の満開と重なってくれたらと期待している。
 ところで今年で56回目となるチンドンコンクールの歴史をご存じだろうか。スタートは昭和30年の春。よく続いたものだ。
 大空襲で焦土と化した富山市は再建の槌音を響かせながら昭和27年4月28日の平和条約発効の日を迎えた。この日をもって米軍による占領が終わり、わが国は完全なる主権と独立を回復したのである。そして富山市はここから大きく動き出すこととなる。当時の富川市長は復興のシンボルとして昭和29年の富山産業大博覧会の開催を決定する。そしてその関連施設として公会堂と富山郷土博物館、すなわち富山城天守閣を建設していったのである。江戸時代の富山城には天守閣はなかったにもかかわらず、米軍からの開放を喜び、日本人の心を再生させるシンボルとして天守閣を作ったのである。このときの富川市長の思いを忘れてはならないと思う。
 閑話休題。話を本題に戻そう。
 やがて昭和29年4月11日に富山産業大博覧会は開会し、55日間で百万人の入場者を記録するという大成功を収めた。実はこの博覧会の宣伝のために三人構成のチンドン屋2組が県内を回ったことが記録されている。
 その後、博覧会後のエアーポケットに落ちたかのように消費が冷え、商店街が沈滞する時期を迎える。そこで当時の商工会議所副会頭の瀬川朝秀氏がチンドンコンクールの開催を思いついたとされている。チンドン屋が多いわけでもない富山で提案した同氏には博覧会宣伝時のチンドンの記憶があったのかも知れないなあ。やがて昭和30年4月に全国チンドンコンクールという他に例のないイベントがいよいよ幕を切ったのであった。
 そして回を重ねて今年は56回目。長い歴史を刻んできたのである。その間、長く裏方としてこのイベントを支えてきた高沢滋人氏の功績を忘れてはならない。第1回から司会・進行役、途中からは審査委員長として活躍された。何よりも全国から参加されたチンドンマンの協力が大きかったと思う。第1回から連続出場されている瀧乃家一二三という大長老もいる。平成10年からは素人チンドンコンクールも併催。チンドンは富山を代表する大イベントとして進化したのである。
今年はプロが30、アマが32チーム、合計62チームの参加が予定されている。今年からはメイン会場を富山市総合体育館に移したので仮に雨天となっても大丈夫。客席も約5200席と大幅増となった。既に県外からの観光ツアーの申し込みがあり、2日間で約3000席の予約が入っているようだ。なお、前夜祭のちんどん夜桜流しやチンドン大パレードなどは例年どおり街中で開催される。市民の皆さんには各会場に足を運んで欲しいと思う。
 ところでオープニングにチンドンマン全員で大合奏される「竹に雀」というお囃子をご存じだろうか。チンドンの世界では「たけす」とも言われているテーマソングである。今年は僕もソプラノサックスで参加予定。自信がないので取りやめたいのが本音なのだが…。