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春よ、来い

森 雅志 2012.02.05
 数日前に啓翁桜が届いた。
この桜はソメイヨシノのように太い幹ではなく、細い枝が何本か集まってひとつの株となっているもので、その枝を切り、生け花用の切り花として出荷されているものである。それもただ木を育てるのではなく、昼夜の温度差を利用しながら、さらには温室でしばらく保管するなどして、桜に「春が来た」と勘違いさせることで真冬に開花させて楽しむことができる仕掛けとなっている。寒い冬の時期に一足早く春の気分を味わえることから人気が高い。
啓翁桜の産地としては、全国的には山形県が有名だが、北陸では富山市山田地域の特産となっている。山田地域では平成6年から栽培を開始し、現在では約10haの栽培面積となっている。毎年12月に、場合によっては雪の積もる中で、つぼみのうちに枝を切り取りいったんお湯に浸したあと、温室で温度管理をして硬いつぼみをゆっくりと膨らませたうえで出荷されている。
収穫したあとの根はすぐに新芽を出すものの、収穫できる大きさに成長するまで約4年かかるため、商品として手にした桜は4年物ということになる。4年間丹精に手入れされてきた桜だと思うとちゃんと水替えをして長く咲かせてやらなきゃなという気持ちになる。
わが家はここ数年、12月に注文書を出して1月の中旬に自宅まで配達してもらうことを続けてきた。その啓翁桜が届いたのである。箱から枝を取り出しながら、毎年嬉しそうに花瓶を用意していたカミさんの姿が思い出された。何とはなしに明るい表情で、桜の枝に鋏を入れたり、つぼみに霧吹きで水をかけたりしていた様子が懐かしい。寒くて縮こまりそうになる日でも桜が届いたことで気持ちが明るくなっていたのだろう。
去年は、入院していたカミさんのお陰でなんとか水揚げをした。「早く株もとを水につけないと花の咲くのが遅くなるからね。」などと言われながら、慣れない手つきで株もとに鋏を入れたことが思い出される。
今年からは僕がやらなきゃな、と思って、何とかそれなりの花瓶を探し出した。花瓶に水を入れて桜を束のまま差し込んでみるとそれだけで心が和んだ。玄関では、年末に頂いたチューリップの鉢がきれいに花弁を開いて自慢げにしている。その隣に並べて置いてみると、まだつぼみなのにピンク色が濃くなったように見える。知らずに「春よ 来い、早く 来い、歩き始めた…」という懐かしい歌を口ずさんでしまった。(僕の連想回路はまずは子供の頃の記憶に繋がるようになっているのだろうネェ。せめて松任谷由実の「春よ、来い」などを口ずさめばなあ…。)
そんな急には花が咲いてくれるはずもないのに翌日からは毎日花瓶の前でかがみ込んでは見つめている。(まるで子供みたいだ。)
少しずつだけど日に日にピンク色が濃くなっていく。つぼみが膨らみ、中にはもうすぐ咲きそうになってきているものもある。この様子だとわが家の玄関にはあと数日で春が来る。小さな春だけど暖かい春だ。一足早いこの春を楽しみたいと思う。春よ、来い。
思えばこの季節、頑張っている受験生がたくさんいる。彼らにこそ「サクラサク」春が来ることを願ってあげたい。みんなに、春よ、来い。