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シングルマザー2

森 雅志 2015.05.05
 全国の母子家庭は2011年で123万世帯に上る。離婚率の高止まりに伴い、1990年代と比べると1・5倍に増えている。その母子家庭の平均年収は約290万円となっていて、子供がいる世帯平均の4割しかないとされている。仮に毎日の生活を頑張っていくことができるとしても、この平均年収では大学進学までの教育費を捻出するのは至難の業であろう。大学全入時代とも言われている中で、最近の大学進学率は5割を超えている。しかし、ひとり親家庭に限ってみてみると24%に過ぎないのである。経済的な理由で進学を断念せざるを得ない若者が多くいることをうかがうことができる。前回のエッセイでも書いたが、大学進学は難しいと考え、職業科の高校に進学させたことが正しかったのだろうかと悩んでいるという相談を知り合いのシングルマザーから受けたことがある。
 僕は大学進学が若者の将来のための必須条件だとは思っていない。人間はいくつになっても学びを始めることができるからだ。また、大学だけが学びの場でないことも論を待たない。現に僕自身は40歳代、50歳代から新しい語学学習に挑戦をしてきた。僕は二人の娘たちにも小さい時からそんな考えを伝えてきた。だから娘たちは塾に行くことも家庭教師の世話になることもなく、受験に苦しむこともなく伸び伸びと育ってくれた。偏差値を上げることよりも人として成長することが大切なのだ。常識ある大人として社会と折り合っていくことが大切なのだ。一人の人間として社会に何らかの貢献をしていけることが大切なのだ。大人としての責任を果たす生き方が大切なのだ。それは大学に進学しなくてもいくらでも実行できる生き方じゃないか。僕はそんなことを娘たちに伝えてきたつもりである。だから知り合いの相談に対しても、大学に行かないから充実した人生を拓けない訳じゃないし、いったん社会に出てからだって幾らでも学ぶ機会があるじゃないかと答えた記憶がある。(もっとも、僕自身も娘たちも真剣に勉強する機会を見つけようとせず、易きに流れるままに毎日を過ごしてきたという側面がない訳じゃないのだけれども…。)
 でもそれは必ずしもすべての人が納得できる意見じゃなかろう。できることなら望む大学に進学させてやりたいと思うのは自然な気持ちである。せめてチャンスは与えてやりたいと思うのは当然のことである。奨学金などの制度があるけれど、支援を受けられるのは一部の者だけである。また、親の収入が高いほど学力が高く、収入が低い家庭の子供との学力差は本人の努力だけでは乗り越えるのが難しいというデータもある。難しい問題だ。
 まずは意欲のある子供たちに対して学習支援の体制づくりを考えることなのかなと思う。全国には700ほどの支援グループがあってボランティアによる無料の勉強会などが開設されているという。
富山市としても新規事業として「ひとり親家庭学習支援事業」を始めることとした。この事業も女性職員による提案である。必ずしも充分だとは言えないけれども、まずは取り組みを始めたいと思う。ところで、数年前から取り組んできた生活保護家庭の児童などへの支援事業において素晴らしい実績が出た。数年前から支援をしてきた二人の若者が今春富山大学に入学することができたのである。これからも制度に基づいてしっかり支援していきたいと思う。良い春になった。