過去のエッセイ→ Essay Back Number

石垣のはなし

森 雅志 2015.06.05
 富山国際会議場のあたりから見る富山城の石垣はあまり加工されていない石が積まれていて積石どうしの間が空いている。そしてその隙間に小さな石が挟み込まれている。そういった形状から単純に考えて、富山城の石垣は丁寧に造られていないもので、他の城の石垣と比べて見劣りがすると感じる人がいるらしい。実はそうではないという話をしたい。
 石垣の分類として、石の形の違いによって「野面積」、「打込接」、「切込接」の三つに分けることができるらしい。野面積は自然の石をあまり加工せずに積み上げたものである。打込接は積石の接合部を加工して隙間を減らしたものである。そして切込接は積石を徹底的に加工して石どうしの隙間をなくしたものである。また石の積み方の違いに着目すると、大別して「布積」と「乱積」の二種類に分類されるらしい。布積は横方向の石の列が揃って並んでいるものであり、乱積は横方向の列が乱れているものということになるらしい。
 富山城の石垣は他の多くの城と同じように場所によっていろいろな積み方がなされている。国際会議場の方から見る富山城西側の石垣は先の分類にしたがえば、部分的に打込接も見られるが、もっぱら野面積の乱積の手法が使われているということになる。石垣の角以外の部分は隙間だらけであり、石と石の間に間詰石が入っていて、いかにも無造作に造られた印象を受ける。しかし、排水がよく、構造的にも安定している。歪んだり孕みが生じても変形したままで安定することとなる。つまり、壊れそうで壊れない強さを持っているということになる。また神通川沿いに位置している富山城だけに、川が氾濫した場合の水はけを考える必要があり排水性の高い積み方が導入されているという見方もある。見かけによらず高度な技術が必要で、今日では野面を積める職人はほとんどいないとされている。ただし、野面は目が粗いだけに手を掛けることや足を掛けることが容易で、土塁よりも登りやすいという欠点がある。ある方の話によれば、富山城の近くで幼少期を過ごした人の中にはこの石垣を登って遊んだという人がいるらしい。子供でも登れる石垣の城ということは敵の攻撃を想定しない設計思想だったということなのかもしれない。平和な時代の産物ということか?いずれにせよ、高度な技術が生かされているということである。
 さて、西側の石垣の上にはかつて桜の大木が何本もあって、春には見事な花を咲かせていた。10年くらい前に当時の公園緑地課長からこの木を切らないと伸びた根が石垣を内部から壊してしまうと言われて驚いたことがある。この場所は高校時代に同級生とデートをしていた思い出の場所だけに僕は納得できなかったのだが、彼は必死に僕を説得してきた。僕は皇居の石垣の上にはたくさんの木が生えているじゃないかと抵抗したのだが、彼は石垣の構造が違うのだと強く主張したのだった。真面目な性格の人が泣くように懇願する姿勢を見て彼の主張を受け入れたのだが、今になっては良い思い出である。桜の姿はないけれど石垣全体をすっきりと眺めることができて良かったと思う。今は亡き日合さんという課長の思い出である。
 城址公園の広場に「AMAZING TOYAMA」と題したモニュメントを設置した。このモニュメント越しに見る富山城、そして石垣はぜひ眺めて欲しい一風景だと思う。日合さんのことを思いながら足を運んでみますかな。