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紅葉狩りの記憶

森 雅志 2015.11.05
 白山市と白川村を結ぶ白山白川郷ホワイトロードに行ってきた。以前は白山スーパー林道と呼んでいたあの道である。白川村に入って記憶をたどりながらスーパー林道への進入口を探したのだが案内板が見つからない。代わりにホワイトロードという聞きなれない案内板をみとめた。案内板どおりに進んで行って全然違う場所にたどり着いても困ると思い、おっとり刀でナビに頼ることとした。ナビに表示されたルートは間違いなくスーパー林道だったので名前が変わったのだということに気付いた。結局は記憶通りのルートだったのだけれども困惑させられてしまったのだった。おそらく愛称名のようなものだと思うけれど、その名前を変えることに如何ほどの意味があるのだろうか。そもそもホワイトロードというのはどういう意味なのだろう。白い道?よく分からない名前である。林道じゃなくなったということか。白山市と白川村だから?
 それはそれとして、久しぶりに訪れたこのホワイトロード、相変わらずの素晴らしい眺めを楽しませてくれた。あいにくの曇天ではあったが、鮮やかに赤く色づいたヤマモミジやナナカマド、ブナの黄色や常緑樹の緑が織りなす光景に圧倒されてしまった。特に赤色が鮮やかであった。この道はカーブが多く距離も長いので大変なのだが、スケールの大きい紅葉狩りだと思えば納得できる。たまには足を運んでみたい絶景ルートだと思う。
 10年以上前に家族でゆっくりとこのルートを巡ったことがあった。何度か車から降りて滝を眺めたり散策したりした。この時の紅葉の鮮やかさは僕の記憶にある紅葉の風景の中でも出色だと思う。子供たちの記憶の中にもはっきりと刻み込まれていると思う。なぜなら次のような出来事があったからである。僕らは駐車場に車を停めたうえで遊歩道をたどって河原まで下りたのであった。歩くうちに小さな露天風呂が現れた。裸でお湯につかっている人がいることに気付いた子供たちが笑い転げてしまった。子供の目から見れば変な人に映ったのだろう。でも、本当のことを言えばこの時僕はお湯につかっている人が羨ましかったのだった。谷の上を見上げれば全山が燃えている中で一人ゆっくりとお湯の中で四肢を伸ばしていたのだからなあ。あんな時間を持てるとしたら最高だと思う。もっともこの谷の名前は蛇谷という。名前の由来通り蛇が多いとされている。以前に読んだ「定本 日本の秘境」にも蛇谷のことが書かれていたと思う。まさに秘境なのだ。秘境で楽しむ最高の紅葉。いつか水着持参で楽しみたいと思う。蛇のいないことを祈りながら…。
 昨年の桜の時期にこの欄で茨木のり子さんの詩を援用しながら心して桜を愛でようと書いたことがある。桜の魅力に触れられるのは1年に1度しかないのだから、ひとは生涯に何回ぐらい桜を見られるのだろうかという詩を紹介しながら桜の儚さを伝えたかったのである。同じことが紅葉にも言えると思う。心して観賞しなければならないのだ。今年の秋も残り少ない。もう一度紅葉を楽しむ時間を見つけなくてはと思っている。
若い頃からの記憶をたどれば多くの紅葉の名所を思い出すことができる。永観堂、南禅寺、実光院、神護寺、高山寺、蔵王、奥入瀬、磐梯吾妻、五色沼などである。黒部湖までのロープウェイから見た大観峰の紅葉も絶景であった。まてまて、そんな遠くに行かなくても市内には紅葉のビューポイントがあるじゃないか。呉羽山の五百羅漢の紅葉を忘れてはならない。よし、今年は五百羅漢だ。