過去のエッセイ→ Essay Back Number

山の賑わいの陰で

森 雅志 2016.09.05
 8月11日は今年から導入された祝日、「山の日」であった。8月に祝日が無かったこともあり、またお盆休みの直前ということもあって多くの人に好意的に受け入れられたのではないかと思う。
 僕は毎年、誕生日である8月13日には薬師岳などに登山することとしているのだが、今年はせっかくの「山の日」だからということで11日の早朝から出かけた。登山口である折立に着いてみると駐車場は県外ナンバーの車などで溢れかえっていた。まさに山のようになっていた。いざ登り始めてみると登山道は人が連なっていた。極端に言えば数珠つなぎ状態であった。何カ所かの休憩ポイントで休んだが、どこも満員(?)であった。僕らは時間に余裕のある山行だったので焦りはなかったのだが、1日の移動距離が長い計画の登山者たちは急ぐに急げず焦っていたのではないかと思った。元気な高齢者の登山者も多かったので、あちこちから賑やかな話し声や笑い声が聞こえていた。「山の日」が山の賑わい創出に繋がり、元気な高齢者づくりにも寄与しているなと感じた。
 幸い天候が素晴らしく、絶好の登山日和であった。太郎平小屋のご主人である五十嶋博文さんともゆっくりと話ができた。今年の薬師岳山系の登山客の入り込み状況や登山道の様子などについて情報収集ができた。何といっても薬師岳山系の登山者の安全確保には五十嶋さんたちの力が欠かせない。五十嶋さんを頂点とする山小屋関係者の協力があるからこそ発病者やけが人が出た時の初動対応ができるのである。そして太郎平小屋には富山県警の山岳警備隊の隊員が常駐している。どこかでけが人が出るなどして救助要請があればこういった皆さんが救助に向かうことになる。僕らの山での安全はこういった体制に支えられているのだ。有り難いことだと思う。そんなこともあって僕は毎年少なくとも一度は薬師岳に向かい、五十嶋さんと会い、謝意を伝えることにしているのである。
 今回は五十島さんから考えさせられてしまうエピソードを聞かされた。高山病で移動困難となってしまった登山者の救助に際して、症状の連絡を受けた医師の指示によりドクターヘリの出動を要請したところ、救助を受ける立場の登山者からヘリコプターに乗せられるのは嫌だと拒否されてしまったという話である。医師がドクターヘリの出動が妥当だと判断したからには症状はかなり重篤だったと思われる。おそらく自力で歩行することさえ難しかったのではないかと推測される。しかし、その要救助者本人に搭乗を拒否されたことから、やむなくドクターヘリの出動要請を取り消したとの内容であった。ここからは僕の推測であるけれど、おそらくこの登山者は山岳警備隊の隊員に担がれて下山したものだと思う。救助とは言え嫌がる人を無理やりヘリに乗せることはできないかも知れない。しかしその結果人力で救助するという負担が発生することになる。そのことを考えると複雑な思いになってしまう。社会的に妥当だとされる方法で救助しようとする場合には救助される側にも一定の受忍が求められるべきだと考えるのは僕だけだろうか。難しい問題だ。
 山を楽しむという登山という行為はけがをするという危険と隣り合わせである。僕らはいつもそのことを意識する必要があるし、何かが発生した時には多くの関係者のお世話になるということも考えておかなければならない。今回、五十嶋さんから聞いたエピソードをきっかけに改めてそんなことを思わされた次第。僕ももう若くはないのだから歳相応のゆっくり登山を心がけることとしますかな。