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本籍地のはなし

森 雅志 2016.10.05
 過日、長女が婚姻届を提出した。結婚披露宴は11月に予定されているのだが、娘とパートナーとの間では以前から婚姻届は9月の某日に出すことが決まっていたらしい。二人なりの理由があるのだろう。何かの記念日に違いない。理由はどうであれ、晴れてこの日に新米夫婦がめでたく誕生したということだ。親である僕としても素直に嬉しかった。
 僕は26歳の時に結婚したのだが、僕ら夫婦も結婚式の前に婚姻届を出している。結婚した頃はすごく仕事が忙しくて、人生のパートナーとしてよりも仕事のパートナーとしての戦力に期待して結婚したようなところがあり、結婚式の数カ月前から二人だけで徹夜仕事をする日がある状況だった。それなら手続き的にきちんとしておこうと思い、周りに相談もせず、二人で婚姻届を出した。若き日の一コマである。
 若干、動機不純な僕らの婚姻届とは違って、娘たちのそれには意味が込められているのだろう。立派な記念日になったと思う。ところでその日の朝のことである。婚姻届の記入をしていた娘が「新しく作る戸籍の氏は彼の苗字にするとして、本籍地はどこにしたらいいのかな。たとえば、皇居やディズニーランドの地番に本籍地を置くこともできるらしいよ。」と言った。「そりゃそうだけど、いくらなんでも自分たちにまったく関係のないところというのもなあ…」と答えた僕は、思いつきではあったが、ある提案をしてみた。それは、氏は彼の苗字にして本籍地はわが家の地番で届けるというもの。長女はこの提案を大いに気に入り、パートナーである彼も同意してくれたので、そういう形の婚姻届が提出された。氏は夫の苗字を使い本籍地は妻のものを使うということである。長女の言を借りれば、「自分のルーツは今までと変わらない」ということになるのである。
 これは一つの形だと思う。これからは一人っ子同士の結婚が増えることが予想される。そんな場合に、氏はどちらかのものを使い、本籍地は他方のものを使うという形はお互いがそれぞれのルーツを意識するということになり、意味のあることではなかろうか。もっとも、そんなのは古い家制度の残滓だという批判の声が何処かから聞こえてきそうではあるが…。ともかく、娘夫婦は新米夫婦としての新生活をスタートしたのである。
 ところが届出の窓口で、手続き上の壁があることに気付かされた。婚姻届を出す前の娘の籍は僕の戸籍の中にあった。僕の戸籍の本籍地の地番はシンプルだ。例えば718番地なのである。ところが娘たちが新設する新しい戸籍の本籍地は、718番地1となってしまう。道路の拡幅などに伴い土地が分筆されると718番地が718番地1と718番地2になり、制度上では718番地という枝番の無い本籍地は使えないことになるのだ。ただし、既に存在する僕の戸籍の本籍地の地番は従前のままであり、職権で枝番が付されるということはない。しかし新設する際には登記簿上の正確な地番でないと受理されないという仕組みなのだ。娘にしてみると自分のルーツである今までの本籍地の地番に「1」という枝番が付くことが少し不満だったようだったが、制度を理解してくれ今は納得している。いずれにしても二人の新しい戸籍ができた。二人の未来はここから始まり、新しい家族の歴史が紡がれていく。二人の力で大きく高く飛んで行くが良い。
(個人的過ぎる内容ですが、戸籍制度を伝えることが狙いですのでご容赦ください。)