過去のエッセイ→ Essay Back Number

見上げてごらん夜の星を

森 雅志 2017.09.05
 5年前に友人たちと立山登山をした。還暦の年だったので還暦登山と名付け、ゆっくりと山を楽しみたいからと室堂のホテルに一泊するという贅沢な時間を持つことができた。早朝には後立山連峰越しのご来光を拝むことができた。しかしそれ以上に感動的だったのは就寝前に屋上で見上げた星空の素晴らしさであった。まさに満天の星空だったのだ。涙が出そうなほどに感動的で言葉を失った。
 そして5年が過ぎた今年、同じ仲間でもう一度室堂の星空を見ようということとなった。僕はそれにあわせて密かな企みを思いついた。もしもまた満天の星空を仰ぐことができるなら、サックスで「見上げてごらん夜の星を」を演奏してみたいという厚顔無恥で迷惑至極なことを企んだのである。そして時々思い出したように練習を重ねてきた。
 そうするうちに、今年も薬師岳の太郎平小屋で誕生日を迎えるという日程が固まった。それなら先ずは太郎平小屋で下手なサックスを演奏しながら夜の星を見上げようじゃないかという思いが頭をもたげ、小屋のご主人にお許しいただいたことを良いことに、過日の誕生日登山ではソプラノ・サックスを登山ザックに入れて小屋におもむいた。いつものザックより重くなり苦しみながらの登坂だったが何とかたどり着くことができた。あいにく雨空のうえ多くの宿泊客がいたことから、朝になってほとんどの登山客が出発した後の時間に吹かせてもらうことができた。演奏の水準はともかく、多くのスタッフや登山者の皆さんからあたたかい拍手をもらって大変嬉しかった。(もちろん迷惑に感じた人もいただろうけれど…。) 満天の星空の下ではなかったけれど、自己満足にひたることができた。
 もとより今年の目標と位置付けたのは満天の星空の室堂での「見上げてごらん夜の星を」の演奏である。僕らの世代にとってこの曲は時には心に沁み、時には明日への励みを感じさせる名曲だと思う。僕の演奏はともかく、その場にいるみんなが心を一つにして歌うことができたら最高の思い出になると思う。予定日の室堂がこれ以上ないほど晴れ渡り、眩暈がするほどの満満天の星空になることを願うばかりである。
 さて、先に述べた誕生日登山の際に小屋主の五十嶋さんから感動的な話を聞いた。京都から2人だけで来たという中学3年生と小学6年生姉妹のエピソードである。長女が3歳の時に父親と薬師岳に来て以来、2人は毎年のように親子で薬師山系を訪れてきたと言う。毎回太郎平小屋で入山届けを出し、テント場利用の手続きをし、太郎平小屋をベースキャンプのようにして奥黒部や薬師山系の山を楽しんできたのである。そして今年は初めて少女2人だけで重いテントを担いで薬師岳にやってきたのだ。京都を出て金沢で乗り換え、富山駅からバスを使って登山口の折立にたどり着き、そこから励まし合いながら自分たちの力だけで小屋にやってきたのだ。食事や天候の変化にも対応したのだ。2人の体力と意志の強さ、そして山に対する憧憬の強さに驚かされた。なによりもいたいけな少女2人での山行を許した親の姿勢に感動した。世の中には立派な家庭があるものだ。
 少女は五十嶋さんに太郎平小屋は薬師山行の原点だと言い、高校生になったら是非とも小屋で働きたいという思いを綴った手紙を手渡していた。その手紙を見せてもらったが、大人顔負けの筆力と内容のものであった。山はこうやって人を育てるのだ。彼女たちにとって偏差値教育は何の意味も持たないと思わされた。彼女たちは既に荒野を生き抜く力を身に付けている。「見上げるべき山の星」のような少女たちだと感動した。頑張れ少女たち!