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初めての椅子

森 雅志 2018.06.05
 僕は専業農家の長男として生まれた。子どもの頃のわが家は稲作、梨、柿、ぶどう、お茶など色んなものを栽培していた。両親と祖父が農作業を担い、祖母が家事を担当していた。時には祖母も畑仕事に出るので、僕が下校すると薪で風呂を沸かすという作業が待っていることもあった。家族のみんなが働いていた時代だったのである。
 夜の八時になれば子どもは眠り、大人も九時か十時には床に就く、朝は夜明けとともに目を覚ます、そんな暮らしぶりであった。蛍光灯は無く白熱電球で暮らしていた。テレビも冷蔵庫も無い時代であった。食事の時は家族全員が板の間に置かれた長方形の卓袱台に座り母や祖母が給仕をしてくれた。そんな生活だったのでわが家に椅子と呼べるものは母が使うミシンの丸椅子くらいしかなかった。
 やがて、椅子らしい椅子に座ることのないまま小学校に入学したのだった。したがって僕にとっての初めての椅子と言えば教室の学校机の椅子ということになるのだ。この椅子は時には講堂での集会に持って行ったし、運動会の時にはグラウンドで活用したと思う。今と違って小さな子どもにはいささか重い木製の椅子だったが行事のたびに持って移動した記憶がある。それでも僕にとっては初めての椅子であり、小学校生活における大切な装置だったのである。
 小さなころから本好きだった僕にとって、小学校に入学して見つけた図書室という空間は宝物だった。時間を見つけては勝手に自分の席だと決めた椅子に座り本を読みふけっている子供だった。同級生とは仲が良かったけれど、みんながグラウンドでボール遊びなどをしているにもかかわらず一人で読書していることの多い少し嫌味な子供であった。
 そんな僕だったが、仲の良かった女の子がある時自宅での誕生会に呼んでくれた。初めての誕生会への誘いに面食らったけれど、強い誘いに抗しきれず彼女の家におもむき、そして驚いてしまった。テーブルと背もたれのある椅子が揃えられた食堂に通されたからである。誕生会にも驚いたが、椅子で暮らしている家があることにも驚かされたという次第。しかしもっと狼狽させられたのは、出された紅茶とショートケーキであった。世の中にそういうものがあるということはおぼろげに認識していたものの、初めて目の前に提供されて困惑したのだった。隣の子の様子を見ながらフォークを使ってみたら立っていたケーキが倒れてしまい大いに狼狽えてしまった。小さな頃の鮮明な記憶の一コマである。今もこのことがトラウマになっていて、この歳になってもいわゆるスイーツを自ら進んで口にすることができないでいる。
 小学四年生になるときに父が学習机と椅子を用意してくれた。この時の喜びも忘れることができない。自分専用と言う意味ではこの時の椅子が初めての椅子だったからである。
 この歳になって当時の父の胸中を思うと言葉が出ない。父の中では本当は小学校に入学した時に購入してやりたかったという気持ちがあったのではと思うからである。子どもだった僕はそんな父の気持ちに気付くべくもなくただ無邪気に喜んでいたのだった。僕はこの机でよく本を読んだものの、予習・復習をするということがあまりなかった。その結果として、せっかく学習机を購入してもらいながら父が抱いていたであろう期待に充分応えられない学生時代を過ごすこととなり、今となってはその後の生き様を恥じ入るしかないのだ…。
 ところで、あの時の僕の椅子はその後どこに行ったのだろうか。