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太陽がいっぱい
森 雅志 2018.08.05
避暑地などの夏の思い出にまつわる作品は楽曲にも映画にも数多くある。僕の好みで勝手にあげてみるのだが、例えば竹内まりやの「グッドバイ・サマーブリーズ」は名作だと思う。大好きな曲の一つだ。松任谷由実の「真夏の夜の夢」の場合にはテキーラみたいなキスというフレーズにやられてしまった。小田和正が歌う「真夏の恋」の恋心も切なさが深いと思う。サザンオールスターズの名曲「夏の日のドラマ」もありがちな季節限定の恋心を軽めのタッチでメロディアスに歌う。若い人は誰も知らないと思うが、「避暑地の恋」というチェリッシュのヒット曲もあったよね。
映画で言えば、何と言っても「太陽がいっぱい」の全編にわたるイタリアの輝ける海の美しさがまさに名シーンだと思う。古いアメリカの映画で「避暑地の出来事」というのもあったな。なによりも僕が名作中の名作だと思うニコラス・スパークス原作の映画「きみに読む物語」も避暑地の出会いからラブストーリーが始まる構成となっている。ちなみにこの「君に読む物語」は全ての人に薦めたい傑作映画である。観たことのない人は是非ともこの機会に鑑賞してほしいと思う。
もちろん僕自身には、「避暑地の恋」も「真夏の夜の夢」も縁がなく経験も記憶もないけれど、「太陽がいっぱい」な海の思い出は幾つもある。本稿では、数多くある海の思い出の中から10代前半の少年時代の小冒険譚を紹介してみたいと思う。
輪島市内、とは言え、市中心部から海岸線を東に向かって20キロくらい車を走らせる位置にある曽々木海岸がその舞台。曽々木海岸と言ってもおそらく誰も知らない地名だと思う。でも、僕には懐かしい場所なのである。
中学1年生の夏休みのことだ、何かの雑誌で曽々木海岸の風景を見て無性に行ってみたくなった僕は近所の友人2人を誘って出かけたのだった。呉羽駅から津幡駅まで北陸線に乗り、津幡駅から輪島駅まで七尾線で移動した。子どもだけの小旅行なのだから当然のことだが、すべて各駅停車の旅だった。何時間ほどの旅程だったのかは覚えていないが、とにかく輪島駅にたどり着いた。そこから目的地の曽々木海岸まではバスによる移動であった。海岸沿いにあったほとんど木賃宿のような簡易な旅館に泊めてもらった記憶がある。透明度の高い綺麗な海で泳いで翌日には帰ってきた。滞在時間より移動時間の方が長いという滅茶苦茶な海水浴だったのである。面白いのは翌年も同じ旅程で出かけたことである。何がそうさせたのかは分からないけれど、綺麗な海の魅力だけじゃなく移動そのものが面白かったのだと思う。中学生だけで夏休みにチョットした冒険の旅に出たということだ。痩せて坊主頭だった思春期の記憶である。もっとも、最初の年に出会った一人の少女の面影が2年目につながったという側面を否定はできないのだけれども…。さらに言うと、中学生の3年間毎年氷見の虻が島にも通った。これも鉄道とバスの旅だった。よせばいいのに島から泳いで帰ろうと思いたち、途中でおぼれそうになったこともあった。これもまた思春期の酸っぱい記憶。
もちろんアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」とは比ぶべくもないけれど、自分の中ではいつまでも色あせない「太陽がいっぱい」な貴重な夏の思い出なのである。
書き出しのトーンの割にはつまらないエッセイになってしまったが、加齢にあわせながらも、いつまでもロマンを忘れないことが大切だと言いたかったのである。思えば本稿が広報に掲載されてお盆が来たなら、僕も66歳になることとなる。いつまでも若さを発信できる66歳でいたいものだと思う。お互いに良い夏となりますように祈る次第。(くれぐれも熱中症にご注意召されますように。)
映画で言えば、何と言っても「太陽がいっぱい」の全編にわたるイタリアの輝ける海の美しさがまさに名シーンだと思う。古いアメリカの映画で「避暑地の出来事」というのもあったな。なによりも僕が名作中の名作だと思うニコラス・スパークス原作の映画「きみに読む物語」も避暑地の出会いからラブストーリーが始まる構成となっている。ちなみにこの「君に読む物語」は全ての人に薦めたい傑作映画である。観たことのない人は是非ともこの機会に鑑賞してほしいと思う。
もちろん僕自身には、「避暑地の恋」も「真夏の夜の夢」も縁がなく経験も記憶もないけれど、「太陽がいっぱい」な海の思い出は幾つもある。本稿では、数多くある海の思い出の中から10代前半の少年時代の小冒険譚を紹介してみたいと思う。
輪島市内、とは言え、市中心部から海岸線を東に向かって20キロくらい車を走らせる位置にある曽々木海岸がその舞台。曽々木海岸と言ってもおそらく誰も知らない地名だと思う。でも、僕には懐かしい場所なのである。
中学1年生の夏休みのことだ、何かの雑誌で曽々木海岸の風景を見て無性に行ってみたくなった僕は近所の友人2人を誘って出かけたのだった。呉羽駅から津幡駅まで北陸線に乗り、津幡駅から輪島駅まで七尾線で移動した。子どもだけの小旅行なのだから当然のことだが、すべて各駅停車の旅だった。何時間ほどの旅程だったのかは覚えていないが、とにかく輪島駅にたどり着いた。そこから目的地の曽々木海岸まではバスによる移動であった。海岸沿いにあったほとんど木賃宿のような簡易な旅館に泊めてもらった記憶がある。透明度の高い綺麗な海で泳いで翌日には帰ってきた。滞在時間より移動時間の方が長いという滅茶苦茶な海水浴だったのである。面白いのは翌年も同じ旅程で出かけたことである。何がそうさせたのかは分からないけれど、綺麗な海の魅力だけじゃなく移動そのものが面白かったのだと思う。中学生だけで夏休みにチョットした冒険の旅に出たということだ。痩せて坊主頭だった思春期の記憶である。もっとも、最初の年に出会った一人の少女の面影が2年目につながったという側面を否定はできないのだけれども…。さらに言うと、中学生の3年間毎年氷見の虻が島にも通った。これも鉄道とバスの旅だった。よせばいいのに島から泳いで帰ろうと思いたち、途中でおぼれそうになったこともあった。これもまた思春期の酸っぱい記憶。
もちろんアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」とは比ぶべくもないけれど、自分の中ではいつまでも色あせない「太陽がいっぱい」な貴重な夏の思い出なのである。
書き出しのトーンの割にはつまらないエッセイになってしまったが、加齢にあわせながらも、いつまでもロマンを忘れないことが大切だと言いたかったのである。思えば本稿が広報に掲載されてお盆が来たなら、僕も66歳になることとなる。いつまでも若さを発信できる66歳でいたいものだと思う。お互いに良い夏となりますように祈る次第。(くれぐれも熱中症にご注意召されますように。)