平成30年3月26日

 所用があって輪島に行ってきた。道路が空いていたせいか予定より早く到着したので閑を持てあますこととなってしまった。せっかくの時間なので思い出の地に足を運ぶこととした。輪島市内とは言え、海岸線を東に向かって20キロくらいは車を走らせる位置にある曽々木海岸に行ったのだ。曽々木海岸と言ってもおそらく誰も知らない地名だと思う。でも、僕には懐かしい場所なのである。
中学一年生の夏休みのことだ、何かの雑誌で曽々木海岸の風景を見て無性に行ってみたくなった僕は近所の友人2人を誘って出かけたのだった。呉羽駅から津幡駅まで北陸線に乗り、津幡駅から輪島駅まで七尾線で移動した。子どもだけの小旅行なのだから当然のことだが、すべて各駅停車の旅だった。何時間ほどの旅程だったのかは覚えていないが、とにかく輪島駅にたどり着いた。そこから目的地の曽々木海岸まではバスによる移動であった。海岸沿いにあったほとんど海の家のような簡易な旅館に泊めてもらった記憶がある。透明度の高いきれいな海で泳いで翌日には帰ってきた。滞在時間より移動時間の方が長いという滅茶苦茶な海水浴だったのである。面白いのは翌年もまた同じコースをたどって曽々木海岸まで出かけたことである。何がそうさせたのかは分からないけれど、綺麗な海の魅力だけじゃなく移動そのものが面白かったのだと思う。中学生だけで夏休みにチョットした冒険の旅に出たということだ。映画「スタンド・バイ・ミー」を思わせるような思春期の記憶である。50数年ぶりの曽々木海岸はポケットパークのようなものが整備され様変わりをしていた。それでも暫しの間、痩せて坊主頭だった中学生の頃の夏の日の記憶に浸ることができた。あの日から半世紀という時が流れたのだなあ。「思えば遠くへ来たもんだ」か。
 

平成30年3月15日

 ここ数日は暖かい日が続いていて気持ちが良い。春爛漫と言っても良いと思う。朝の陽ざしも爽やかなので、早朝ゆっくりと庭に出てみた。蕗の薹が芽吹いているのを見つけて嬉しくなった。結婚して7年目の2月に生まれた長女に「蕗子」と名付けたゆえんは、2月5日ではあったけれども長い冬の後にやってきた暖かい春を思わせるような快晴の日に産まれたからである。蕗の薹を見ながらあの日のことを思い出していた。歩いてみると水仙も随分と大きくなっていた。もうすぐ白い花を咲かせてくれるだろうなあ。楽しみである。おそるおそる先日のブログに書いた白梅まで行ってみると折れたり裂けたりしていた枝が取り払われ無残で可哀そうな姿になっていた。そんな姿ではあるけれど健気にも残った枝に、まさにほころび始めたばかりの小さな白い花を2輪見つけることができた。先日、雪つりをはずしに来ていた植木屋さんから木ごとこいでしまうことを提案されたのだが無残な姿でも残しておこうと言っておいてよかったと思った。健気な白い花がいじらしい。残ってくれたつぼみのすべてが咲いてほしいと思う。頑張れ! ときどき観察したいと思う。
 (もっとも天気予報では明日から低温に戻るようだが…。まさか雪が降ることもあるまい。)

平成30年3月6日

 3月弥生だ。数日前には随分と暖かい日和が続き、春近しどころか春本番という感じがしたのだけれども今日はまた寒さが戻ってしまった。でもまあこの時季はこうやって暖かくなっていくのだから、そろそろ春物に衣装替えをしますかな。4日の早朝に玄関に飾っていたお雛様の屏風と、男雛女雛の人形をかたずけた。空いた場所に桜の絵を飾る。その瞬間にわが家に春がやってきたような気がした。その後、廊下に掛けてある戸出喜信画伯の「バリの冬」のリトグラフを「パリの春」に取り換えた。もはや春真っ盛りという感じ。三寒四温のリズムで春めいてくるこの時季の良さを1年ぶりに気付かされた。季節が移ろい自分はまた老いを重ねるということか。
 先々週鎌倉に行く機会があったのだが、街のあちこちで梅の花が咲き誇っていた。その残像が数日たっても残っていたからか、理由もなくわが家の白梅の木を見てみたくなり室内から障子を開けてみた。そこで目にしたのは太い枝まで何本も折れている無残な姿の老木であった。思わず「あっ!」と声をあげていた。わが家をこの地に建ててから35年くらいになると思う。その間ずっと庭の隅で白い花を咲かせ、多過ぎるくらいの実を落としてくれた梅の木がここまで大雪に痛めつけられていたとは知らなかった。梅の木自身の老化も原因しているのかもしれないけれど、やはり今冬の大雪が作用したのだろう。おそらく積雪量以上に重い雪だったのだな。たしかに除雪が例年の雪よりも大変であった。積雪深や積雪量では測れない雪の重さという要素があるのだと思い知らされた。わが家の梅の木はわが家の庭に移植されて以来初めてその枝をズタズタにされてしまうという形で今冬の雪の重さを教えてくれた。
 今朝、恐る恐る障子をあけてみるとみすぼらしい形になってしまいながらも健気な老白梅はチョットだけ花芽を緩めてくれていた。この白梅の芽のように雪にいじめられてもゆっくりとやってくる春もあるのである。急がない春。じっくりと歩めと言う意味か。老白梅の木の無残な姿を見ながら考えている。健気に緩もうとしている白梅の花芽に学びながら生きて行こうと。暖かさに身を置きながらゆっくりとやってゆくさ。もう若くはないのだから。弥生、春。暖房をした部屋で本稿を書いている身が悲しい。

 
 
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