平成15年8月27日
 自衛隊の火力演習に行った。片道5時間のドライブは自分で運転したわけではないと言えさすがに疲れた。 演習会場につくと霧が低く立ち込め500メートル先もはっきりと見とおせない状況であった。そういう中で実弾の発射演習を披露してもとても着弾地点を見ることはできないので、せっかくの訓練ではあったが、模擬発射や演習用発射(音だけが轟く)による訓練となった。おそらく2万人はいただろう観客の中からはあちこちでブーイングの声が上がっていた。
 僕の後列にいた人たちも「そんなことじゃ戦争に負けるゾ」とか「金を惜しむな」などといった怒声を浴びせていた。遠くから見学に来たことから来る苛立ちではあろうけれど、60才過ぎの人たちのあまりに程度の悪い態度に呆れてしまった。今の時代は大人の世代までもが馬鹿面で平気でクレームを並べ立てる時代なのだと再認識させられた。天候や自然現象に起因することまで仕様がないと受け止めることができなくなっているのである。実に嘆かわしい。そして、こう言う人たちに限ってしばしば権利ばかりを主張するのである。
 一人でも多くの国民に自分たちの訓練模様を見てもらい、自衛隊に対する理解を深めてもらおうと準備を重ねてきた関係者の落胆は容易に想像できる。遊園地にでも来たような意識でいた人たちはさておき、せめて僕らは慰労の言葉を掛けてあげたいと思う。関係の皆さんご苦労様でした。
平成15年8月18日
 お盆がすんでいよいよ夏も終わりである。もっとも今年の夏は異常なくらいの冷夏だったからそもそも夏がなかったと言うべきか。最近の世の中はいろいろなものが失われていく世の中だが、そういったものの一つに季節感があげられる。四季の移ろいは日本という国の大きな財産であるにもかかわらず、季節感どころか「日本の夏」そのものがなかったということはいささかショックである。社会のいろいろな局面への影響が大きいと思うが、良いにつけ悪いにつけ自然のなせる技だからしようがない。もっとも異常気象の背景に温暖化などがあるとしたら僕らみんなが共犯者である。
 子供の頃、夏休みには真っ黒になってため池で泳いでいた。あの夏の日のモクモクと湧き上がっていた入道雲が無性に思い出される。あの光景こそが日本の夏だったのだ。もっとも、あの日の僕が田舎の無邪気な少年そのものだったのに対して今の自分が如何に変わってしまったかを考えてみると、気象や夏の光景の変化など大したことはないのかも知れない。あの日に戻りたい気分だ。今からでも遅くないから入道雲が出てくれないかなァ。
平成15年8月13日
 月日がめぐってまた誕生日を迎えた。去年は50才になった感慨を子供を引き合いに出して書いたが、今年は51才になったからといってもどうということはない。ただ時の過ぎ行くスピードの速いことに驚いている。この1年の間、僕自身に多くの出会いがあったように家族のみんなにも色んなことがあったことだろう。特に下の娘の変化が著しい。中学二年生という輝いている世代だ。もっと本を読んで欲しいと願っているのだが、1日中コンピューターに向かっている。ブラインドタッチで猛烈なスピードでキーをたたく姿を見ていると10代が潜在している能力の計り知れないことに気づかされる。大いなる未来が横たわっているのだからいろいろな可能性にチャレンジして欲しいと願うばかりだ。
 今夜は家族で食事に出る予定。誰も僕のハッピーバースディなど口にしてくれないのだろうけれど、マァいいか。