平成29年4月19日
英語学者・評論家で上智大学名誉教授の渡部昇一先生が17日に亡くなられた。大変なショックであり、残念でならない。我が国の保守論壇に風穴があいてしまった。かけがえのない知の巨人が逝ってしまったのだ。なんということだろう…。
僕は平成18年から渡部昇一書下ろしニュースレター「昇一塾」の会員である。ほぼ週に一回の頻度で渡部先生のエッセイがメールで配信されてくる。11年間にわたり先生の博識と深い思索に触れることができた。大いに刺激されてもきた。さまざまな問題について自分の判断のヒントをもらってきた。そのすべてはプリントしたうえで何冊ものファイルに綴じられている。この貴重なファイルは僕の最も大切な知の拠り所となった。生涯にわたり宝物として手元に置いておきたいと思う。最後に配信されたのが今月の7日金曜日の12:29であった。乃木希典の功績と人物像について学ばせてもらった。翌週の14日金曜日12:02の配信レターは昇一塾事務局名のものであり、「渡部先生の体調がすぐれず、しばらく言論活動を控え、治療に専念されたいとのお申し出があり、昇一塾ニュースレターをしばらく休刊させていただく」との内容であった。先生が病んでいらっしゃることを初めて知り、大いに驚かされた。やがて復刊されるものとばかり思っていただけに、訃報を受け止めることができないでいる。今日から少しづつ大切なファイルを読み直してみたいと思う。睡眠不足にならないように気をつけながら…。
渡部昇一先生のご冥福を心から祈ります。合掌。合掌。
僕は平成18年から渡部昇一書下ろしニュースレター「昇一塾」の会員である。ほぼ週に一回の頻度で渡部先生のエッセイがメールで配信されてくる。11年間にわたり先生の博識と深い思索に触れることができた。大いに刺激されてもきた。さまざまな問題について自分の判断のヒントをもらってきた。そのすべてはプリントしたうえで何冊ものファイルに綴じられている。この貴重なファイルは僕の最も大切な知の拠り所となった。生涯にわたり宝物として手元に置いておきたいと思う。最後に配信されたのが今月の7日金曜日の12:29であった。乃木希典の功績と人物像について学ばせてもらった。翌週の14日金曜日12:02の配信レターは昇一塾事務局名のものであり、「渡部先生の体調がすぐれず、しばらく言論活動を控え、治療に専念されたいとのお申し出があり、昇一塾ニュースレターをしばらく休刊させていただく」との内容であった。先生が病んでいらっしゃることを初めて知り、大いに驚かされた。やがて復刊されるものとばかり思っていただけに、訃報を受け止めることができないでいる。今日から少しづつ大切なファイルを読み直してみたいと思う。睡眠不足にならないように気をつけながら…。
渡部昇一先生のご冥福を心から祈ります。合掌。合掌。
平成29年4月18日
やっと選挙が終わったので書き込みを再開。
3月からずっとこのコーナーで紹介したいと思い続けていたエピソードがある。ちょっと長くなりそうだけど披露してみたい。
3月27日に行われた三重県の高校野球の大会で0対91というスコアで終わった試合があった。過去に例のないような大敗でありながら、敗れた私立英心高校の監督はツイッターで「選手はダメじゃない」と胸を張った。
この英心高校は、もともと不登校の子供を多く受け入れる学校である。そこに赴任した野球経験のある豊田監督が2015年に野球部を創設した。男子5人、マネージャーの女子1人から始まった。やがて部員が10人まで増え、日本高等学校野球連盟(高野連)への登録申請が通り対外試合をやるようになった。それから1年半後の試合が今回のものであった。
「今までは、ピッチャーがストライクを取れず四球が続く試合ばかりだった。相手チームは20〜30点も差がつくと試合を終わらせようとしてわざとアウトになるんです。でも今回の対戦相手である県立宇治山田商業高校は県屈指の強豪ですが、フルメンバーで最後の最後まで攻撃の手を緩めなかった。うちのピッチャーもストライクを入れられるようになった。初めてチームとして認められたという感覚だった。」「30点取られても、1点づつ取り替えそうと言い続け、誰も諦めなかった。」と豊田監督は述べた。翌日の練習には部員全員が参加したという。
監督は次のようにも話している。「不登校だった子が、ただ学校に来るようになるだけではダメだと思っています。私は野球を通じて心がしっかりと育ってほしい。自分の将来に前向きになり、人間性が形成されていってほしい。」と。そういう考えの指導者のもとで厳しい練習に打込むことこそが高校野球というものだろう。試合を終わらせようとワザとアウトになったチームとの違いは大きい。
そう言えば、以前に21世紀枠の高校に負けて「末代までの恥じ」と言って辞職したバカな監督がいたが、彼の眼にはこの英心高校チームのひたむきさがどう映るんだろうねぇ。
3月からずっとこのコーナーで紹介したいと思い続けていたエピソードがある。ちょっと長くなりそうだけど披露してみたい。
3月27日に行われた三重県の高校野球の大会で0対91というスコアで終わった試合があった。過去に例のないような大敗でありながら、敗れた私立英心高校の監督はツイッターで「選手はダメじゃない」と胸を張った。
この英心高校は、もともと不登校の子供を多く受け入れる学校である。そこに赴任した野球経験のある豊田監督が2015年に野球部を創設した。男子5人、マネージャーの女子1人から始まった。やがて部員が10人まで増え、日本高等学校野球連盟(高野連)への登録申請が通り対外試合をやるようになった。それから1年半後の試合が今回のものであった。
「今までは、ピッチャーがストライクを取れず四球が続く試合ばかりだった。相手チームは20〜30点も差がつくと試合を終わらせようとしてわざとアウトになるんです。でも今回の対戦相手である県立宇治山田商業高校は県屈指の強豪ですが、フルメンバーで最後の最後まで攻撃の手を緩めなかった。うちのピッチャーもストライクを入れられるようになった。初めてチームとして認められたという感覚だった。」「30点取られても、1点づつ取り替えそうと言い続け、誰も諦めなかった。」と豊田監督は述べた。翌日の練習には部員全員が参加したという。
監督は次のようにも話している。「不登校だった子が、ただ学校に来るようになるだけではダメだと思っています。私は野球を通じて心がしっかりと育ってほしい。自分の将来に前向きになり、人間性が形成されていってほしい。」と。そういう考えの指導者のもとで厳しい練習に打込むことこそが高校野球というものだろう。試合を終わらせようとワザとアウトになったチームとの違いは大きい。
そう言えば、以前に21世紀枠の高校に負けて「末代までの恥じ」と言って辞職したバカな監督がいたが、彼の眼にはこの英心高校チームのひたむきさがどう映るんだろうねぇ。
Back Number
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年