平成26年9月28日
ニューヨークの国連気候温暖化サミットの関連会議に参加することができた。エネルギー効率改善都市の一つとして、国連の事務総長名義で招待を受けたことは大変に名誉なことであった。おかげさまで国連本部の中に入ることができ、総会が行われる会場に入ることもできた。2度とありえない経験ができたことを嬉しく思う。
2日間にわたって行われたSE4ALLという会議に出席したが、日本語の同時通訳が無いので苦労した。国連のオフィシャル言語は英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語、アラビア語の6か国語だけなのだ。いささかでも分かるのは英語だけなので、頭の中を英語モードにすべく苦しいくらいに努力しながら何とか乗り切ることができた。いろいろな国の人と交流することで、少しだけ英会話能力がアップしたと思う。時差ボケに加えて、英語漬けの疲労もあって今朝までボーッとしていたのだろうなあ。若いときにもっと英語力を磨いておくべきだったと反省している。
さて、23日のオープニング゛・セレモニーではアル・ゴア元副大統領や俳優のディカプリオさんのスピーチを聞いたのだが、最後に登場したマーシャル諸島共和国からのキャシー・ジェニトル・キジナーという若い女性のスピーチに感動させられた。いや、大感動であった。ディカプリオのスピーチにも大拍手が出たが、彼女の詩の朗読に対しては会場のすべての人がスタンディング・オベーションで感動を表していた。僕も涙が出そうになるのを必死に堪えていた。
彼女は自分の息子に宛てた手紙の形式をとりながら、マーシャル諸島、ツバル、キリバス、モルディブなどの海面上昇、フィリピンなどの巨大台風、パキスタンなどの洪水を例にあげて危機の到来を訴え、同時に人間社会の無関心を憂うる詩を滔々と、感動的に謳いあげた。原稿なしで、身振りをまじえながら抑揚をつけて訴え続ける彼女の姿に本当に感動した。おそらくまだ20代だと思う彼女の、堂々とした態度に感服させられた。世の中に人物はいるものだと思わさせられた。
ところが、その数時間後、昼食の会場で偶然にその女性に遭遇することができた。僕から声をかけてしばらく話すことができた。彼女の夫と赤ちゃんと一緒に写真におさまった。かわいい赤ちゃんだった。こんなにかわいい赤ちゃんの将来に島国の水没が危惧されているのである。僕らの世代の責任を自覚しなければならない。
色んな人といろいろな話ができた充実したニューヨーク滞在だった。おかげで今朝から時差ボケも解消できた感じがする。頑張らなくては!!
2日間にわたって行われたSE4ALLという会議に出席したが、日本語の同時通訳が無いので苦労した。国連のオフィシャル言語は英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語、アラビア語の6か国語だけなのだ。いささかでも分かるのは英語だけなので、頭の中を英語モードにすべく苦しいくらいに努力しながら何とか乗り切ることができた。いろいろな国の人と交流することで、少しだけ英会話能力がアップしたと思う。時差ボケに加えて、英語漬けの疲労もあって今朝までボーッとしていたのだろうなあ。若いときにもっと英語力を磨いておくべきだったと反省している。
さて、23日のオープニング゛・セレモニーではアル・ゴア元副大統領や俳優のディカプリオさんのスピーチを聞いたのだが、最後に登場したマーシャル諸島共和国からのキャシー・ジェニトル・キジナーという若い女性のスピーチに感動させられた。いや、大感動であった。ディカプリオのスピーチにも大拍手が出たが、彼女の詩の朗読に対しては会場のすべての人がスタンディング・オベーションで感動を表していた。僕も涙が出そうになるのを必死に堪えていた。
彼女は自分の息子に宛てた手紙の形式をとりながら、マーシャル諸島、ツバル、キリバス、モルディブなどの海面上昇、フィリピンなどの巨大台風、パキスタンなどの洪水を例にあげて危機の到来を訴え、同時に人間社会の無関心を憂うる詩を滔々と、感動的に謳いあげた。原稿なしで、身振りをまじえながら抑揚をつけて訴え続ける彼女の姿に本当に感動した。おそらくまだ20代だと思う彼女の、堂々とした態度に感服させられた。世の中に人物はいるものだと思わさせられた。
ところが、その数時間後、昼食の会場で偶然にその女性に遭遇することができた。僕から声をかけてしばらく話すことができた。彼女の夫と赤ちゃんと一緒に写真におさまった。かわいい赤ちゃんだった。こんなにかわいい赤ちゃんの将来に島国の水没が危惧されているのである。僕らの世代の責任を自覚しなければならない。
色んな人といろいろな話ができた充実したニューヨーク滞在だった。おかげで今朝から時差ボケも解消できた感じがする。頑張らなくては!!
平成26年9月18日
昨夜、面白いことがあった。僕は一泊人間ドックで外泊していたのだが、そこに長女からおびえたような声で電話があった。曰く「帰宅してみたら台所の壁にコウモリのようなものがいて怖い…!」と。隣の棟に住む祖父を呼んで対処するように指示をしておいたところ、30分後くらいにまた電話があった。曰く「祖父ちゃんにモップで落としてもらった。やっぱりコウモリだったよ。落ちてきたコウモリをそこらにあったCDなどで祖父ちゃんが叩いておとなしくさせた。新聞紙に包んだので、外に逃がしてやったらと言ったのだけれど、祖父ちゃんは新聞紙の上から踏みつけてしまった。信じられない……。」恐るべし91歳。ずっと農作業で生きてきた人の感覚からすると蛇でもコウモリでも見つけて捕まえたものはとにかく始末するということになるのだろう。ずっと以前にも農道にいた蛇を認めると、わざわざバックをして車で踏みつけていたっけ。恐るべし91歳!
平成26年9月16日
長勢甚遠前代議士からときどき届くエッセイの中で、昭和天皇御製「立山の御歌」をもっと歌うべしとの指摘があった。まったくそのとおりだと思った。東京県人会の総会では毎年参加者全員で歌うことになっているのだが、僕がこの歌を歌う唯一の機会となっている。地元である富山で歌われなくて、出身者が集まる場で歌われていることが不思議だ。
さて、この御製の歌碑が立山を登る途中にあることはあまり知られていない。一の越から登っていくと三の越の直前の東側の斜面にある。今年の登山に際して久しぶりに足を運んでみた。相変わらず御歌の歌碑の前に立つ登山者は多くないのだなと感じた。登山道は渋滞するほどに人で溢れていたのだが、歌碑の前まで行ったのは僕らのグループだけであった。これもまた寂しいことである。そもそも歌碑の存在自体が知られていないようなので、広く伝えていくことから始めなくてはなるまい。
さて、この御製の歌碑が立山を登る途中にあることはあまり知られていない。一の越から登っていくと三の越の直前の東側の斜面にある。今年の登山に際して久しぶりに足を運んでみた。相変わらず御歌の歌碑の前に立つ登山者は多くないのだなと感じた。登山道は渋滞するほどに人で溢れていたのだが、歌碑の前まで行ったのは僕らのグループだけであった。これもまた寂しいことである。そもそも歌碑の存在自体が知られていないようなので、広く伝えていくことから始めなくてはなるまい。
平成26年9月11日
昨日訪ねたある方の執務室に面白い標語?、いや違うな、スローガンかな、まぁとにかく次のような言葉が張り出されていた。いわく、「一杯の酒は健康、二杯は快楽、三杯は放縦、十杯は狂気」。面白い。とりあえずメモってきた。僕の毎日は狂気が続いているということ。反省しきりである。これからは五杯くらいにしておきますかな。
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