平成24年11月30日
 誤ってコミックを買ってしまった。新聞の書評を見て良さそうな本だと思ってアマゾンに注文。届いてみたらコミックでしたという次第。何度かこういう経験をしている。「テルマエ・ロマエ」の時もそうだった。やっぱり書店で実際に手にして買わなきゃ駄目だと思わされる。
 そうは申せ、今回の失敗は怪我の功名そのものであった。コミックとは言え、なかなか心にしみるストーリーだったからである。ぜひとも紹介したいと思いこの稿となった次第。興味のある方はご一読を。まあ所詮コミックではあるんだけど…。
 紹介します。「式の前日」というタイトルの短編集で、著者は「穂 積」という人。穂が苗字で積が名前? よく分からないけれど穂積というペンネームなのである。年齢も性別も分からない。短編6編が収録されているがどの作品も叙情性に富み切なくもある。読む側の心を優しくしてくれる。娘たちに読ませてやりたいと思う。「お父さん、コミックなんて買うの?」とからかわれそうではあるけどね。
平成24年11月22日
 自民党が「マニフェスト」という言い方をやめて今度の衆議院選挙の公約を「政権公約」と題したらしい。そして、民主党がマニフェストの信頼を損ねてしまったのだとする。確かにそういう評価をすることができよう。しかし、そもそも論から始めるべきだと思う。そもそも早稲田大学教授の北川正恭氏が2003年頃にマニフェスト論を言い出して以来、多くの政党や政治家、地方議員を含む選挙にのぞむ者たちが流行り病のように「マニフェスト」と称するものを安売りしてきたのじゃないのか。猫も杓子も「マニフェスト」を掲げて選挙に臨んできたのじゃないのか。しかし多くの場合、それは「マニフェスト」と言えるものではなかったのではないのかと僕は思っている。「マニフェスト」と言うからには政策目標を述べるだけでは不充分なのであり、財源を明確にすることと、目標が数値化できるものの場合には目標値を示すことが最低限求められると思う。そしてその達成度をきっちりと検証していく作業がともなうべきであろう。僕は何度かの自分の選挙に臨むにあたって決してマニフェストという言葉を使っていない。誰かが僕の示した「公約集」をマニフェストと称した場合には、その都度「マニフェストではない。」と指摘さえしてきた。何故なら、僕が示してきたものはマニフェストと言える中身ではなく「選挙公約」程度のものだったからである。自分で自信を持って「これはマニフェストである」と言える水準のものを用意できなかったからである。北川先生にマニフェストと称するべきだと指摘された際にも、自分なりの考えを述べさせていただいた。マニフェストもどきをマニフェストとは言えない。今後、選挙に臨むことがあるとしても従来どおり「選挙公約」を示させていただいて、一年ごとに「公約に対する検証」集を出していきたい。マニフェスト流行病から距離を置いて来た者としては「ほら見たことか!」と言っておこうか。
平成24年11月13日
 しばらく書き込みをしなかった。書きたいことやコメントしたいことはいろいろあったのだけれど…。僕の技術力の無さがそんな結果をもたらしているのだ。出先からでも携帯やiPhoneを使って書き込めば良いのだろうが、その能力が僕には無いのである。情けない次第。今、キーボードを打っているこのパソコンにある「ホームページ・ビルダー」を経由してアップしないと出来ないという体たらくなのである。したがって頻繁に出張が続くとお手上げなのである。パソコンを持ち歩けばいいのかもしれないけれど、荷物になるのが嫌なので…。でも、いつまでもこんなことじゃいけないので何とかしなきゃね。機械やメカ音痴にゃ、荷が重いけど…。
 ところで、最近僕の周囲で不思議な現象が起きている。何人もの知り合いの女性が妊娠しているのである。産休に入ったという人もいるし妊娠初期の人もいるのだが、いずれにしても出産のお祝いをすることが続きそうで心配になるくらいである。偶然にそうなったのではあるけれど嬉しくなる。どの人も始めてのお産なので不安もあるかもしれないけれど、無事な出産を祈りたいと思う。長女を授かってからの日々が思い出される。
 僕に何の神通力がある訳じゃないけれど、赤ちゃん待望の方は一声かけて見てください。意外に偶然が続くかも知れません。