平成29年9月21日
この秋は予定が立て込んでいて凄く忙しくなりそう。衆議院が解散され選挙になっても海外出張と重なるので運動に参加できない見込みだ。仕様がない。特に土・日は12月まで空いた時間を取ることが難しそう。そんな事情もあって昨日の夕方、突発的に夏用の簀戸を襖障子に取り換えた。気が早いという感じがしないでもないが、思い立った時にやらないと初冬まで夏仕様のままということになりかねないと考えたからである。やり終えた後に、今度は座布団も取り替えなきゃと気づき、仏間と座敷の冬用の座布団を出したところで、その前に箒で掃き掃除だということになり、結果的に大掃除の様相となってしまった。今朝から両腕が筋肉痛である。いつものことだが調子に乗りすぎたということ。でもまあ改めて部屋を眺めてみるとすっきりとして気持ちが良い。まだ暑い日が戻るかもしれないけれど、季節は移ろっている。いよいよ秋だな。紅葉が楽しみだ。いい秋にしたいと思う。
平成29年9月19日
今月に入って更新したブログ2題がトイレにまつわる駄文であったからだろうか、数日前にわが家のトイレの温水洗浄装置が作動しなくなってしまった。電池切れでリモコン装置からの発信ができなくなったのかと思い電池を交換してみたが効果なし。もはや洗浄装置がない暮らしはできなくなっているわが身としては実に困った状況になっているのである。しかたがないので、いつもこういう時に相談相手になってくれている中学時代の同級生である大工に連絡。専門の業者さんと一緒に点検してもらった結果、部品の故障とのこと。しかしながら機器が古いので部品の調達が困難であるとのこと。やむなく便器そのものを取り替えることになってしまった。はたしていつになれば回復するのであろうか。ここ数日は娘の居室がある2階のトイレのお世話になっている。今朝は使用後に徹底的に磨いておいた。
偶然のこととは言え、トイレ話が続くことになってしまった。連鎖現象を断ち切るためにも、これからはトイレの話題を避けながらブログを綴ることとしよう。
偶然のこととは言え、トイレ話が続くことになってしまった。連鎖現象を断ち切るためにも、これからはトイレの話題を避けながらブログを綴ることとしよう。
平成29年9月5日
10年前に『消え行く立ちション』というふざけたエッセイを書いている。故あってその全文をここに再掲させていただきたい。
『 あまり品の良いタイトルではない。でも非難を承知で、立ちションの話を綴りたい。だからと言って、立ちションの武勇伝や正しいマナーの話をしようというのではない。驚きの新聞記事を紹介したいのである。
それは、最近、立って小用をする人が減ってきているという記事であった。つまり洋式の便器に座って小用をする男性が増えているというのだ。記事によれば、アンケートの結果、約三割の男性が小だけの用向きにもかかわらず、便座に腰掛けて用を済ましているというのである。足腰がおとろえた高齢者の調査ではなく、小さな子どもから四十代くらいまでの男性の実態だというのである。
立って小用をすれば、前のファスナーを開ければ済むものを、座って行うとなるとズボンを下げなければならない。男の特権とも言うべき構造上の利点を放棄してまで便座に座ることの理由は何なのか。最近は立って用を足すには疲れてしまうほどに所要時間を要する人が増えたのか?などと訝りながら記事を読み進むと、やがて謎が解けた。なんとそのわけは、立って用を足すとトバシリで便器の付近が汚れるからだというのであった。小さい子供には母親が、成人男性にはその配偶者という監視人が付いており、彼女たちの論理では、便器の前を汚すのは立ってことをなすからだということになるらしい。したがって最初から座って作業をすればノープロブレムということなのだ。全国のトイレに蔓延している「急ぐとも心静かに手を添えてウンヌン…」の標語だけでは飽き足らず、僕らの気づかないところで密かに、しかし確実に、僕らの至福の行為を変質させようという陰謀が進行しているということだ。
放尿という必然かつ快楽の行為を、開放感あふれる姿勢ですることを許さないトレンドを放置していて良いものか。子どもの頃に小川の土手などで、思いっきり様を足した記憶を持つ人は多いと思う。その記憶を男の特権と言わずになんと言う。太陽の下で大っぴらに立ちションをすることができなくなった時代ではあっても、せめて用を足すときは、両足を踏ん張って力いっぱいことをなすべきじゃないのか。それこそ日本男児の生き様というものだ。
俯いて生きて行くような、座り派の軟弱男には用は無い。前を向いて生きる立ちション派こそが未来を担う。立ちション万歳! 日本万歳! 立ちション派は結集せよ。立山に向かって連れションだ。文句あっかー。(酷い文だなぁ)』
本当に酷い文である。それは僕自身の品のなさがさせることなので恥をさらすしかない。しかし、本当に恥を忍んで告白しなければならないことがある。それは10年前にここまでの立ちション宣言をしておきながら、ここ数年密かに座り派に転向してしまっていることである。転向してしまったことの背景に、加齢によって立って用をなすことが困難になってきたということがあるのではなく、自分でトイレの掃除をするようになったことが原因している。全く信念もなく、節操もない。根性なしの転向者である。ここまでの変節漢が世の中にいたのかと思われても反論できないほどの対極への転向だ。まことに情けない。しかし、いつまでも隠し続けることはできない。天網恢恢疎にして漏らさずのたとえもある。ここに大恥を忍んで告白する次第だ。ゆめゆめ大口をたたくものでないという戒めとなった。
『 あまり品の良いタイトルではない。でも非難を承知で、立ちションの話を綴りたい。だからと言って、立ちションの武勇伝や正しいマナーの話をしようというのではない。驚きの新聞記事を紹介したいのである。
それは、最近、立って小用をする人が減ってきているという記事であった。つまり洋式の便器に座って小用をする男性が増えているというのだ。記事によれば、アンケートの結果、約三割の男性が小だけの用向きにもかかわらず、便座に腰掛けて用を済ましているというのである。足腰がおとろえた高齢者の調査ではなく、小さな子どもから四十代くらいまでの男性の実態だというのである。
立って小用をすれば、前のファスナーを開ければ済むものを、座って行うとなるとズボンを下げなければならない。男の特権とも言うべき構造上の利点を放棄してまで便座に座ることの理由は何なのか。最近は立って用を足すには疲れてしまうほどに所要時間を要する人が増えたのか?などと訝りながら記事を読み進むと、やがて謎が解けた。なんとそのわけは、立って用を足すとトバシリで便器の付近が汚れるからだというのであった。小さい子供には母親が、成人男性にはその配偶者という監視人が付いており、彼女たちの論理では、便器の前を汚すのは立ってことをなすからだということになるらしい。したがって最初から座って作業をすればノープロブレムということなのだ。全国のトイレに蔓延している「急ぐとも心静かに手を添えてウンヌン…」の標語だけでは飽き足らず、僕らの気づかないところで密かに、しかし確実に、僕らの至福の行為を変質させようという陰謀が進行しているということだ。
放尿という必然かつ快楽の行為を、開放感あふれる姿勢ですることを許さないトレンドを放置していて良いものか。子どもの頃に小川の土手などで、思いっきり様を足した記憶を持つ人は多いと思う。その記憶を男の特権と言わずになんと言う。太陽の下で大っぴらに立ちションをすることができなくなった時代ではあっても、せめて用を足すときは、両足を踏ん張って力いっぱいことをなすべきじゃないのか。それこそ日本男児の生き様というものだ。
俯いて生きて行くような、座り派の軟弱男には用は無い。前を向いて生きる立ちション派こそが未来を担う。立ちション万歳! 日本万歳! 立ちション派は結集せよ。立山に向かって連れションだ。文句あっかー。(酷い文だなぁ)』
本当に酷い文である。それは僕自身の品のなさがさせることなので恥をさらすしかない。しかし、本当に恥を忍んで告白しなければならないことがある。それは10年前にここまでの立ちション宣言をしておきながら、ここ数年密かに座り派に転向してしまっていることである。転向してしまったことの背景に、加齢によって立って用をなすことが困難になってきたということがあるのではなく、自分でトイレの掃除をするようになったことが原因している。全く信念もなく、節操もない。根性なしの転向者である。ここまでの変節漢が世の中にいたのかと思われても反論できないほどの対極への転向だ。まことに情けない。しかし、いつまでも隠し続けることはできない。天網恢恢疎にして漏らさずのたとえもある。ここに大恥を忍んで告白する次第だ。ゆめゆめ大口をたたくものでないという戒めとなった。
平成29年9月1日
今日からの3日間、恒例の越中八尾おわら風の盆が開催される。おかげ様で天気は良さそう。多くの方におわら特有の風情を堪能してほしいと思う。僕も今日と明後日の2日間足を運ぶ予定。何処かで見かけたら声をかけてください。
さて、情感あふれるおわらの話題にふさわしくないけれど、ちょっと気になる面白エピソードを1題。北陸新幹線のトイレの話しである。新幹線内のトイレスペースは良く考えて設計されているとは思うのだが男性小用トイレの位置が気になっている。男性小用トイレは通路から中に使用者がいるかどうか見えるように出入り用のドアの一部が透明なガラス?製の構造となっている。使用者がいるかどうかが分かるのだからドアに鍵はない。それはそれで良いのだけれども、考えようによっては背後が実に無防備なのである。そのうえにその位置が女性用トイレの出入り口横となっている。したがって女性がトイレを利用しようとするときにたまたま男性小用トイレが使用中であると使用中の男性の背中を目にすることとなる。女性の心理は分からないけれど、あまり気持ちの良いものではないのではなかろうか。こちらもまた背後に人の気配がすると落ち着かないこととなる。時には同時に利用が終わり振り向いた途端に女性用トイレから出てきた女性と目が合うということさえある。気にしなければそれでよいのだが、気恥ずかしさをぬぐいきれないのだが…。そんなこともあって、僕は小用トイレを使用する時には急いで用を終えようと密かな努力をしているのである。そんなことを考える人は僕だけかも知れないけれど…。
さて、情感あふれるおわらの話題にふさわしくないけれど、ちょっと気になる面白エピソードを1題。北陸新幹線のトイレの話しである。新幹線内のトイレスペースは良く考えて設計されているとは思うのだが男性小用トイレの位置が気になっている。男性小用トイレは通路から中に使用者がいるかどうか見えるように出入り用のドアの一部が透明なガラス?製の構造となっている。使用者がいるかどうかが分かるのだからドアに鍵はない。それはそれで良いのだけれども、考えようによっては背後が実に無防備なのである。そのうえにその位置が女性用トイレの出入り口横となっている。したがって女性がトイレを利用しようとするときにたまたま男性小用トイレが使用中であると使用中の男性の背中を目にすることとなる。女性の心理は分からないけれど、あまり気持ちの良いものではないのではなかろうか。こちらもまた背後に人の気配がすると落ち着かないこととなる。時には同時に利用が終わり振り向いた途端に女性用トイレから出てきた女性と目が合うということさえある。気にしなければそれでよいのだが、気恥ずかしさをぬぐいきれないのだが…。そんなこともあって、僕は小用トイレを使用する時には急いで用を終えようと密かな努力をしているのである。そんなことを考える人は僕だけかも知れないけれど…。
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