平成18年8月31日
この書き込みをしなきゃなと思いながら月末を迎えてしまった。締め切りのある原稿書きと違ってサボっても直接には誰にも迷惑をかけないので、ついこんなことになってしまう。困ったことだ。僕の短所であり、弱点だ。幾つになっても性根は変わらないものだなあ。
そう言えば、去る8月の13日に54歳なった。中年から高年(?)そして老年へと毎年着実に馬齢を重ねていくのだなぁ。もっとも今年の誕生日はいつもと違って忘れられないものであった。
その前日から薬師岳の奥に入っており、当日は早朝に薬師沢の小屋を発ち雲の平を経て水晶岳に登ったのだが、ちょうど正午にその山頂に立つことができたのだった。誕生日を富山市の最高峰で迎えることができたということだ。そのうえ、同行者の一人が赤ワインを山頂まで持参していただいており、全員でハッピーバースデイを歌いながら祝杯を上げることができたのであった。まさに生涯忘れえぬ誕生日となった。そのうえその夜に宿泊した高天原山荘の奥さんからはバースデイケーキをいただいた。材料が揃いにくい山小屋なのによく作っていただいたと感激した。多くの皆さんに心からお礼を申し上げる。有り難いことだ。
ちなみにそのことを自宅に電話したところ、返ってきた返事は「そうやったね。今日は誕生日やったね。」だった。本当は分かっていたのだと思うけれど…。
そう言えば、去る8月の13日に54歳なった。中年から高年(?)そして老年へと毎年着実に馬齢を重ねていくのだなぁ。もっとも今年の誕生日はいつもと違って忘れられないものであった。
その前日から薬師岳の奥に入っており、当日は早朝に薬師沢の小屋を発ち雲の平を経て水晶岳に登ったのだが、ちょうど正午にその山頂に立つことができたのだった。誕生日を富山市の最高峰で迎えることができたということだ。そのうえ、同行者の一人が赤ワインを山頂まで持参していただいており、全員でハッピーバースデイを歌いながら祝杯を上げることができたのであった。まさに生涯忘れえぬ誕生日となった。そのうえその夜に宿泊した高天原山荘の奥さんからはバースデイケーキをいただいた。材料が揃いにくい山小屋なのによく作っていただいたと感激した。多くの皆さんに心からお礼を申し上げる。有り難いことだ。
ちなみにそのことを自宅に電話したところ、返ってきた返事は「そうやったね。今日は誕生日やったね。」だった。本当は分かっていたのだと思うけれど…。
平成18年8月7日
7月の末に剣岳に行ってきた。以前、剣沢から登ったことはあるものの馬場島側から登ったのは初めてである。このルートから登らないと本当の意味で剣岳に登った事にならないのだと何人かの人から聞かされていたので良い機会であった。とは言うものの、とんでもなく過酷な登山となり、帰宅したときは這うようにしてやっとの思いで玄関にたどり着いた。いやーっ、本当に疲労困憊した。
初日は途中雨にあった時間帯もあったものの順調に早月小屋に着きのんびりすることができた。翌日は4時半に小屋を出発し頂上を目指した。天候は最高の日和となり、頂上からははるかに連なる山々を眺望することができた。また、八峰もその姿の全貌を見せてくれザイルを使って崖を滑り降りるクライマーの姿を観察することができた。
下り始めてからも順調であり、疲労感も筋肉痛も感じないまま元気に早月小屋にたどり着いた。おそらくここでビールやワインを飲みながらワイワイと昼食をとったのが(昼食と言うよりも酒盛りと言ったほうが良いか。)後で効いてくることとなったに違いない。樹林帯を下り始める頃からなんとなく足が浮ついた感じを覚えていた。やがて登山道の中に木の根っこが目立ち始めた頃から一気に筋肉が疲労していくこととなった。樹林帯の中はぬかるんでいるところもあったことから、木の根を踏むと滑りそうになるのである。滑るまいとすることから全身に力が入り、余計に滑りそうになるということを繰り返していた。やがて本当に転倒してしまいしこたま尻を打ったのであった。もっとも打ったのが頭や腰でなくて良かったのだが。この瞬間からいっきに足の筋肉がおかしくなり不安げにゆっくりと歩かざるを得なくなった。あまりの様を見かねたのであろうか、同行していた山岳協会の猛者がロープを取り出して僕の腰に巻き付けてくれ、そのロープを持ちながら僕の後方を歩いてくれることとなった。このルートの後半部分は尾根を歩くこととなるので、そこで転倒するとどちらかの崖を落ちていくということになりかねないと言うのである。勿論崖を転がり落ちたくはないので素直に提案にしたがってロープを巻かれながら下山してきたのだが、まるでお縄に着いた盗人が岡っ引きに引き立てられながら市中を引き回しされている姿そのものであった。しかしこの措置のおかげで何とか無事にお縄に着いた下手人も馬場島の登山口までたどり着くことができたのであった。本当に助かりました。
その夜からの数日間は身体のあちこちが痛く、ロボットのようにぎこちなく歩いていたが、何とか回復することができた。早月ルートは過酷だとは聞いていたがこれ程だとは思っていなかった。標高差2,200mをいっきに下るのだから無理もないと思うが、おかげでこれからの登山に対して自信が付いた。つらかったことを忘れて、今は今週の土曜日からの水晶岳登山に思いをはせているのである。
初日は途中雨にあった時間帯もあったものの順調に早月小屋に着きのんびりすることができた。翌日は4時半に小屋を出発し頂上を目指した。天候は最高の日和となり、頂上からははるかに連なる山々を眺望することができた。また、八峰もその姿の全貌を見せてくれザイルを使って崖を滑り降りるクライマーの姿を観察することができた。
下り始めてからも順調であり、疲労感も筋肉痛も感じないまま元気に早月小屋にたどり着いた。おそらくここでビールやワインを飲みながらワイワイと昼食をとったのが(昼食と言うよりも酒盛りと言ったほうが良いか。)後で効いてくることとなったに違いない。樹林帯を下り始める頃からなんとなく足が浮ついた感じを覚えていた。やがて登山道の中に木の根っこが目立ち始めた頃から一気に筋肉が疲労していくこととなった。樹林帯の中はぬかるんでいるところもあったことから、木の根を踏むと滑りそうになるのである。滑るまいとすることから全身に力が入り、余計に滑りそうになるということを繰り返していた。やがて本当に転倒してしまいしこたま尻を打ったのであった。もっとも打ったのが頭や腰でなくて良かったのだが。この瞬間からいっきに足の筋肉がおかしくなり不安げにゆっくりと歩かざるを得なくなった。あまりの様を見かねたのであろうか、同行していた山岳協会の猛者がロープを取り出して僕の腰に巻き付けてくれ、そのロープを持ちながら僕の後方を歩いてくれることとなった。このルートの後半部分は尾根を歩くこととなるので、そこで転倒するとどちらかの崖を落ちていくということになりかねないと言うのである。勿論崖を転がり落ちたくはないので素直に提案にしたがってロープを巻かれながら下山してきたのだが、まるでお縄に着いた盗人が岡っ引きに引き立てられながら市中を引き回しされている姿そのものであった。しかしこの措置のおかげで何とか無事にお縄に着いた下手人も馬場島の登山口までたどり着くことができたのであった。本当に助かりました。
その夜からの数日間は身体のあちこちが痛く、ロボットのようにぎこちなく歩いていたが、何とか回復することができた。早月ルートは過酷だとは聞いていたがこれ程だとは思っていなかった。標高差2,200mをいっきに下るのだから無理もないと思うが、おかげでこれからの登山に対して自信が付いた。つらかったことを忘れて、今は今週の土曜日からの水晶岳登山に思いをはせているのである。
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