平成25年3月29日

 『今月の読書』

   「かがやく日本語の悪態」  川崎 洋 著  草思社
   「カッコウの卵は誰のもの」 東野圭吾 著  光文社
   「世界から猫が消えたなら」 川村元気 著  マガジンハウス
   「夢を売る男」       百田尚樹 著  太田出版
   「蔭の季節」        横山秀夫 著  文藝春秋
   「卵子を守る!妊活レッスン」放生 勲 著  集英社
   「愛と憎しみの豚」     中村安希 著  集英社
   「夜の国のクーパー」    伊坂幸太郎著  東京創元社
   「社長は少しバカがいい」  鈴木 喬 著  WAVE出版
   「としまの文化デザイン」  豊島区文化商工部デザイン課 編
   「韓非子」         守屋 洋 著  PHP研究所
   「夜の底は柔らかな幻」上下 恩田 陸 著  文藝春秋  
平成25年3月26日
 今月号の雑誌「致知」の巻頭言で牛尾治郎さんが引用されている『日本の自殺』という本に興味を引かれた。その本ではプラトンの説くギリシャ没落の原因が述べられていて、さの内容は次のようなものらしい。「それは欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にあり、道徳的自制を欠いた野放図な『自由』の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埓とを通じて社会秩序を崩壊させていった。」というものである。また、トインビーの主張を紹介して「諸文明の没落は宿命的、決定論的なものでもなければ、天災や外敵の侵入などの災害によるものでもなく、『魂の分裂』と『社会の崩壊』による『自己決定能力の喪失』にこそある。」と述べられている。
 まるでどこかの国の現状ではないのか、と思わされる。我々の時代はどこに流れていこうとしているのだろうか? 
平成25年3月13日
 11日に行なわれた政府主催の東日本大震災2周年追悼式を伝えるニュースの中での天皇陛下のお言葉に心を動かされた。両陛下が被災者にずっと心を寄せられていることが伝わってきたからだ。そう思っていたところに、今日の産経新聞の「正論」に高崎経済大学教授の八木 秀次さんが寄せられている文章を見て、より詳しく陛下のお心を理解する機会となり感動している。
 その文の中で披露されている皇后陛下の御歌を見て驚いてしまった。「手紙」と題されたその御歌は次のとおりである。

「生きているといいねママ元気ですか」文(ふみ)に項傾し(うなかぶし)幼な児眠る

僕がこのコーナーで何度か話題にした、あの昆愛海ちゃんのことを詠まれているのである。文中に紹介されている宮内庁の解説によれば、「東日本大震災に伴う津波に両親と妹をさらわれた4歳の少女が、母に宛てて手紙を書きながら、その上にうつぶして寝入ってしまっている写真を新聞紙上でご覧になり、そのいじらしさに打たれて詠まれた御歌。なお、少女の記した原文は、『ままへ。いきているといいね おげんきですか』」とある。皇后陛下のお心が沁みる。
 僕もこの新聞に心を動かされた1人である。僕は新聞社にお願いしてこの写真を取り寄せることができた。去年の5月に一年後のこの児の様子を載せた記事があったが、その記事と先の写真は今も手元にある。この児の無事な成長を願わずにはいられない。そしてこの児に恥じない生き方をしなければならないと今も思う。両陛下ほどには被災地に心を寄せることはできなくても、時々にはこの写真を見つめることはできるはずだ。被災地のことを忘れないためのよすがとして。
平成25年3月5日
 2日の午後、北海道を吹き荒れた暴風雪は母子4人を含む9人の命を奪った。ホワイトアウトによって方向が分からなくなって凍死した人もいたらしい。全員が目的地まで1キロ以内で亡くなっていたというから方向を間違えなければ助かった人もいたのだろう。自然の恐ろしさに驚かされる。亡くなった人の無念を思うと言うべき言葉が見つからない。合掌。
 中でも、湧別町の漁師、岡田幹男さんの死のニュースには本当に胸が痛む。2年前に奥さんを亡くし小学校3年生の娘さんと2人暮らしだったとのこと。吹雪で立ち往生した軽トラックを降り、避難する途中だったようだ。雪に埋もれて凍死していた岡田さんは、自分が着ていた防寒具をも娘に着せ、自分の身体で10時間以上も娘を暖め続けた果てに力尽きたとのこと。
 妻を亡くした時から全力で娘を守ろう、娘を育てていこうと頑張ってきたことは容易に想像できる。その強い思い、深い愛情が奇跡的に娘の命を救ったのだ。それでも母親の分まで頑張ろうとしていた父の無念を思うと言葉が無い。仮にわが身に何かがあっても残されることになる我が家の娘たちは成人している。何とか生きて行けることだろう。しかし今回残された娘さんはまだ9歳なのである。報道によれば兄弟も頼れる親戚もいないと言う。独りぼっちになったこの児はどうやって生きていくことになるのか。この児にかけるべき言葉もまた見つからない。……。皮肉にも3月3日に女児が一人ぼっちになってしまうなんて…。
平成25年3月4日
 今朝、早い時間から玄関に飾っていた内裏雛の描かれた屏風と二体の内裏雛飾りを片付けた。1月の末から飾っていたものだが3月3日が過ぎるのを待って急いで片付けた次第。と言うのも、先日娘たちの会話の中で長女が「私がいつまでも結婚できないのは、子どもの頃にお雛様を片付けるのが遅かったからに違いない。お父さんもお母さんも忙しくてなかなか仕舞う時間が無かったからだ。」と冗談を言っていたからである。さすがに最近はあの階段状の雛飾りは出さなくなったものの、内裏雛だけは季節のしるしだと思って飾ってきた。冗談とは言え、ゆめおろそかにできないと思い早朝から一仕事。やれやれ。片付けた後が寂しく感じたので、かきつばたの飾り扇を出してみた。いくらなんでも季節感があわないけど…。大急ぎで桜の飾り物を探すとしますか。そしたらわが家にも春が来るかな?