平成24年1月27日
 25日に全国市長会の行政委員会において、災害に際しての救護・救援やその後の復旧対応などに関する法体制の見直しについての現時点での検討状況などの説明を総理府などから受けた。東日本大震災の発生以来、さまざまな領域において急こしらえで見直しが議論されている。まあ当然と言えば当然ではあるものの、大切なことはできる事から実行することだと思う。ビジョンや制度づくりにばかり時間が費やされているように感じるのは僕だけか。
 その会議の終盤において委員長の許しを得て発言させてもらった。それは昨年のニュージーランド地震において被災した富山外国語専門学校生などの救出・救援対応についてである。国内の大災害に対する対応の検討は急がなくてはならない課題であることは論を待たない。しかし同時に、在外邦人が災害に遭遇した場合の対応もまた検討されなければならないと思う。自然災害からの救出については第一義的にはその発災した国が対応すべきであるものの、邦人保護の観点から言えばわが国政府が対応すべき事柄もないとは言えないと思う。ニュージーランド地震に関して言えば外務省は積極的に対応してくれたものの、それはレスキュー隊や医療スタッフとは違い、あくまでも領事館業務の延長でしかない。国内から応援スタッフや医療・看護のスタッフを派遣したのは市や県であり、国から緊急援助隊が派遣されたわけではない。災害の規模や被災した邦人の数にもよることなのかも知れないものの、もう少し邦人保護体制の強化があっても良いのではないかと思う。
 在外邦人を保護することはまさに国家としての使命であり、それがあるからこそ国民は国家に帰属することになるのであろう。かつてアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が2人のアメリカ人が誘拐された事件にあたって地中海に軍艦を派遣したことについて思わさせられる。ソマリア沖の海賊対策にやっと動き出したわが国とはえらい違いである。

 翌26日におおいに驚かさせられる電話をもらった。先日発生したイタリアでの豪華客船の座礁事故に、なんと知人が遭遇していたのであった。直接本人から当時の状況を聞いたが酷いものであった。疲れて休んでいた時に事故が起きたためシャツとパンツのまま逃げ出すしかなかったと言う。靴もないまま救助用のボートに飛び乗ったらしい。したがってパスポートも携帯もカードも現金もないまま救出されたのである。ボランティアの助けを借りて何とか衣類を調達し、領事館に連絡をすると月曜日に改めて連絡するよう返事があったとあきれていた。いくつかの国の大使館員が現場に急行し当該国の被災者に対応していたことと比べるとわが国の対応は酷いものだと憤っていた。にわかには信じられないお粗末さである。これからは拾った命だと思って楽しんで生きると言った彼の言葉が耳に残る。

平成24年1月17日
 今年もこの日が来た。阪神淡路大震災が発災した日。そして亡き妻の誕生日である。今までも何度かこの日に何かを書き込んでいた気がする。そして毎年花束を贈っていたっけ。去年は入院中だったので病室に花束を持って行ったものの、病室に置かないほうが良かろうとそのまま自宅に持ち帰ったと思う。昨夜の食事中に娘達も母の誕生日であることに気付き、大好きだったプリンを買ってこようかなどと話し合っていた。明日は18日で月命日である。墓前に供える花を買うつもりでいたのだけど、それとは別に花束を買うことにしよう。彼女が好きだったバラと霞草、あるいはスターチスかな…?
 数日前に山田地区から「啓翁桜」が届いた。毎年注文しているのだから、ひとつの年中行事か歳時記みたいなもの。真冬に春が届くことが嬉しい。毎年届いた日に、明るい表情で花瓶にまだ堅い蕾の桜の枝をさして水揚げをしていた妻の姿を思い出す。今年からは僕がやらなきゃと思い、なんとか花瓶と鋏を探し出した。寒いけど玄関においておくことにしよう。春よ来い。