平成22年4月22日
昨日の書き込みに際して後半に「わしらがお国」という言葉を使ったのは、次の歌の歌詞が残像のように頭に残っていたからである。これはある大先輩が僕の不知を察してわざわざメールで送っていただいた「日本よ日本」という歌である。調べてみると、1974年にNHKで放送されていた「鳩子の海」という番組のイメージソングであった。不明にも僕はまったく知らなかったのだが、この歌詞は今の時代にこそ似合っているのかもしれない。僕ら一人ひとりが「どどんがどん」と頑張ることが一番ということか。先輩の配慮に感謝。感謝。
日本よ日本
日本よ日本 愛する日本
緑の日本 青い海
日本よ日本 わしらがお国
まだ守れるぞ 時間はあるぞ
とどんがどん
(作詞 林 秀彦 作曲 冬木 透)
日本よ日本
日本よ日本 愛する日本
緑の日本 青い海
日本よ日本 わしらがお国
まだ守れるぞ 時間はあるぞ
とどんがどん
(作詞 林 秀彦 作曲 冬木 透)
平成22年4月21日
先週は春の園遊会に招かれて赤坂御苑に行って来た。天気予報が寒い日になると脅すように言っていたが、まさか陛下をはじめとする皇族の方々の前で外套を着ているわけにはいくまいと思いコートを持たずに出かけたが、本当に寒かった。傘も持たずに出たので慌ててコンビニで買ったものの傘を持つ手が凍えるくらいに冷たかった。あらかじめ会場内のテントで供される飲食物のうち、特に焼き鳥が美味しいと大先輩から聞かされていたので、入場するやいなやテント内に座席を確保して焼き鳥と熱燗で一息つかせてもらった。寒さが厳しいのでほとんどの人が熱燗を手にしていた。陛下がおいでになるまえからこんなことで良いのだろうかと思いつつ…、周りの人と楽しく談笑ができた。
そろそろ陛下がお出ましになるという頃に、ご挨拶をしていたある国会議員の奥さんから陛下がお歩きになる通路沿いのある箇所を薦めてもらったのだが、その場所は陛下がお控えのテントから通路にお進みになる最初のポイントであり、見方によっては2千人近い参加者のうちで最初に陛下に御目文字願うというありがたいポイントであった。おかげで陛下と皇后陛下から「どうぞ傘をさしてください。」というありがたいお言葉をいただくこととなった。真っ先にお声をかけていただいたのだから栄誉なことであった。
それにしても最近の国会議員は若い人たちばかりである。みんな溌剌としている。そのうえご婦人方も若くて綺麗な人が多い。なんと言ったらいいのだろう、アカヌケていると言うべきか。元気な様は頼もしいと感じたが…、如何なものかと思った点もある。それは、皇族の皆様が通過された後から総理夫妻かこちらに向かっているというのに、一人が「あっ、真央ちゃんだ。」と言ったとたんにほとんど全員が浅田真央ちゃんのほうに向かって手を振っていた点である。こんな元気な国会議員の集団を見て、わしらがお国は大丈夫かと、チョッと気になったのであった。僕は意地でも真央ちゃんのほうを見なかったのである。
そろそろ陛下がお出ましになるという頃に、ご挨拶をしていたある国会議員の奥さんから陛下がお歩きになる通路沿いのある箇所を薦めてもらったのだが、その場所は陛下がお控えのテントから通路にお進みになる最初のポイントであり、見方によっては2千人近い参加者のうちで最初に陛下に御目文字願うというありがたいポイントであった。おかげで陛下と皇后陛下から「どうぞ傘をさしてください。」というありがたいお言葉をいただくこととなった。真っ先にお声をかけていただいたのだから栄誉なことであった。
それにしても最近の国会議員は若い人たちばかりである。みんな溌剌としている。そのうえご婦人方も若くて綺麗な人が多い。なんと言ったらいいのだろう、アカヌケていると言うべきか。元気な様は頼もしいと感じたが…、如何なものかと思った点もある。それは、皇族の皆様が通過された後から総理夫妻かこちらに向かっているというのに、一人が「あっ、真央ちゃんだ。」と言ったとたんにほとんど全員が浅田真央ちゃんのほうに向かって手を振っていた点である。こんな元気な国会議員の集団を見て、わしらがお国は大丈夫かと、チョッと気になったのであった。僕は意地でも真央ちゃんのほうを見なかったのである。
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