平成22年8月19日
 今日の某紙の人生相談欄の相談内容には驚いた。そもそもこういうコーナーと言うかパートはあまり読まないのだが、たまに読むと驚くことが多い。それが面白くてタマには目を通す。今日は、そのタマの日だったのである。
 そんなことはどうでもいい。驚いた内容は概述すると次のようになる。
 相談者は長く不妊症に悩んでいた。つらい不妊治療の結果、子を授かり夫婦のみならず双方の親も喜んだ。しかしながら、性別が男だと分かると周囲はがっかりし、育児中の相談者も「女の子なら良かった」という思いが日に日に大きくなっている。こんな私は自分の気持ちをどうしたらいいんでしょう?
 思わず、何で?と思ったのが正直なところ。相談者の言を借りれば、「男の子を産んでもお嫁さんに取られるだけ」ということらしい。「男の子を産んだ自分は負け組みで、女の子の母親が勝ち組」だという気がするらしい。
 馬鹿な時代になったものだ。男の子だろうが女の子だろうが、つらい不妊治療をへて子を授かったときの感動を忘れてしまったのかと言いたい。僕ら夫婦も長く子がいなかった。だからこそ長女を授かったときの感動と喜びを忘れない。産まれた日の感動はもちろん忘れることはないが、それよりもカミさんが産科医からの帰り道で偶然に僕の車と行き会って、「お目出度だと言われた。」と嬉しそうに告げてくれた日の感動を忘れない。次女が産まれる直前にカミさんと長女と僕の三人で産科医に向かって行った夜のことも忘れない。僕ら夫婦は生まれる前に子の性別を知りたいとは思わなかった。男の子だろうが女の子だろうが、子を授かることに感動していたのだ。親の思いとはそういうものだと思う。相談者にしても妊娠を告げられたときは同じ思いだったのではないかと思う。それを忘れてしまって、なんてことを思うのだろうか。それも家族も一緒になって。夢を手にしたらこんどは違う夢を求めると言えば聞こえが良いが、そういう生き方を強欲というのじゃないのか。無垢な心の子に対して恥ずかしくはないのかと言いたい。みっともない家族だと思う。男の子だろうが女の子だろうが、まともに育った子供ならそんな家族を見捨てて自分の人生を切り開いていくに違いない。もう一回言おう。馬鹿な時代になったものだ。

平成22年8月11日
 昨日、久し振りに雨が降った。今年の夏は梅雨明けからずっと暑い日が続いて、全く雨がなかったので畑の梨や庭の木々にとってはまさに慈雨であったと思う。昔は晴れの日が続いても夕立があったように思う。もちろん旱の夏もあったとは思うが、こんなに猛暑日が続くことはなかった。そもそも猛暑日という言葉がなかった。やっぱり温暖化が進んでいるのだろうなあ。今朝テレビで、夏の終わりを迎えた北極海の氷がまた小さくなっており観測史上最小面積になったと報道していた。ある意味、分かりやすい現象である。
 
 さて、その猛暑の夏の夜を僕は今年もエアコンを使用せずに過ごしている。そもそも僕が寝てる部屋にはエアコンが無いのだから使いようがない。暑い夏の夜を汗みどろになりながら眠ることで冬に風を引きにくくなると、根拠もなく信じ込んでいるからである。今年は本当に暑い夜もあったけれど夜中に目を覚ますこともなく充分に熟睡できている。暑さを超える酔いが眠りに誘ってくれているということか。
 もっとも先日聞いた話では、暑い夜をそのままに眠るよりも適当な温度に設定したエアコンを朝まで連続運転して、気温の動きのない状態で眠るほうが身体に良いらしい。僕が子供の頃から勝手に信じ込んできた原始の生活の有用性は全く意味のないことだったと言うのか。しかし、エアコンのない時代に生きた人たちが今の時代の人間よりも不健康だったということもあるまい。しばらくはわが道を行くこととしよう。そろそろ朝晩の気温も過ごしやすいものになってきたこともある。もう立秋も過ぎたようだしね。