平成29年8月28日
 一昨日、昨日と一泊二日で室堂に行った。その前日までの悪天候を思うと信じられないくらいの素晴らしい天気であった。この日程で山行することを決めたのが3月の中旬だったことを考えるとよくぞ最高の天気と重なったものだと驚く次第。強運に恵まれたとも言えよう。よく周りのみんなから晴れ男だと言われているが、今度ばかりは自分でもそう思った。おかげで、夜には(満天の星空という訳にはいかなかったものの、)星を仰ぎながらソプラノサックスを演奏することができた。演奏の水準はともかくとして、年初以来の夢を実行することができて大満足であった。そのうえ幸運にもライチョウと出会うこともできた。ここ2、3年は一度も出会うことがなかっただけに、手を伸ばせば触れるくらいの至近距離でライチョウを観察できたことは忘れがたい思い出となった。良い週末を過ごせたことは幸いである。梨の収穫が忙しい時期に山に行くことにいささかの後ろめたさがあっただけに家族と同行者に感謝したい。
平成29年8月24日
 今日は久しぶりに真夏の日よりだった。不順な夏である。農作物に大きな影響がなければ良いのだが…。富山県農業共済組合の組合長としてはおおいに気を揉んでいる。一方でわが家の梨はまことに順調、大変に作が良い。お盆明けの16日から毎朝1時間から1時間半、自宅横の梨畑の収穫作業を続けている。随分と長い間、忙しさにかこつけて農作業から距離を置いて来たのだが、今年からは少しづつ農作業をしようと決めたこともあって、毎朝楽しく梨もぎを続けている。お盆明けの時期は弟が帰省していたので父と僕と3人で、弟が帰京してからは父と2人で毎朝黙々と梨もぎをしているのだが、おしゃべりもしないで黙々と働く時間は気持ちが良い。父との間でほとんど会話は無いのだが同じ空間で同じ作業を親子でする時間の気持ちよさを感じられるのは得難いことだと思う。疲労はあるのかもしれないが、肉体的につらいと感じることはない。かえって快感に近い疲労感が気もち良い。収穫する梨の一つひとつが、如何にも幸水らしい透明感があり美しく、そのうえ大き過ぎるくらいに立派な実が多くて収穫しがいがある。父の、長い間の丹精とも言うべき取り組みと苦労のおかげだ。果樹栽培の難しさは数十年先まで見据えた樹体の育て方と1年1年の気候の変化や病気を含む環境変化への対応をどうやって的確に行うかということだと思う。この数十年間、父は一人で樹体や樹園地のマネージメントをやり遂げてきたのだ。苦労が多かったと思うけれど…、毎朝の収穫時に感じているに違いない、「ああ、今年の梨も良い出来だなあ…。よしよし。頑張った甲斐がある。来年も頑張るぞ!」と。そういう気持ちが彼を動かしているのだろう。いつまでも元気で!!

 さて、さる19日に亡き妻の7回忌を済ました。自宅の仏間で僧職の方2人と我々近親者8名で静かにかつ厳かに霊を迎えそして見送った。まる6年が経ったのだ。仏教の習わしにはそれぞれに意味があることを感じさせられた。さすがに毎日のように亡き人を思うことはないけれど、こうやって節目に家族がそろって手を合わせることでそれぞれの心に様々な記憶や思いが去来する。以前から考えていたのだが、わが家の墓地の前に石灯篭を建てたいと思い、当日の午後に石材店に行ってきた。僕なりの弔い方だ。安らかに眠れ。

平成29年8月15日
 8月13日、今年も誕生日を薬師岳の太郎平小屋で迎えることができた。この10年ほどの間、太郎平小屋か薬師山系の小屋で誕生日を過ごしてきた。そして毎年、小屋の経営者である五十嶋さんやスタッフの皆さん、山行の同行者にお祝いしてもらっている。特に今年は65歳の誕生日だ。感慨深いものがある。いよいよ後半の人生の始まりだ。一つの区切りではあるけれど前向きな意欲を持って思いを実現し続ける、そんな毎日にしたいものだ。雲上で皆さんが歌ってくれたハッピー・バースディを聴きながらそんな思いにひたっていた。毎年、毎年迎えるこの日、有り難いことだ。
 
 さて、今年は年初以来密かに企んでいたことがあった。それはこの雲上のハッピー・バースディにサックスを演奏するということ。もしも満点の星空になったら、それを見上げながら「見上げてごらん夜の星を」を演奏できないかと願っていたのである。アルト・サックスは重いからソプラノ・サックスで行こうと決め、しばらく前から自宅で練習をしていた。いざ、出発という時点でケースごと登山ザックに入れることは難しいと気付き、本体とマウスピースをそれぞれタオルでくるみ、周りを着替えなどの衣類でつつみ、何とか収納して登頂した。いつものザックより重くなったこともあり苦しみながらの登坂だったが何とかたどり着くことができた。あいにくの雨空で星が顔をのぞかせてくれることはなく、そのうえ大変多くの宿泊客がいたことから、朝になって、多くの登山者がそれぞれの目的地に向かって出かけて行った後の時間に吹かせてもらうことができた。演奏の水準はともかく僕個人としては大変充実し満足した時間が持てた。多くの小屋のスタッフの皆さんや出発前の登山者の皆さんから拍手をもらって嬉しかった。もちろん迷惑に感じた人もいるだろうけど…。少なくとも2300メートルの太郎平小屋でサックスを吹いた登山者はいないということなので、多いに自己満足にひたっている。小屋の関係者から来年もどうぞと誘われたけれども、「来年はハーモニカくらいで…」と応えるのがやっとであった。

 今朝は4時過ぎに起床し、今までの人生で大変お世話になった何人もの故人や大親友のお墓に赴き手をあわせてきた。1年に1度この機会にしか墓参しないことが心苦しいけれど、手をあわせながら近況報告をし、すべてはお世話になったおかげですと心からの感謝の思いを確認する大切な時間だ。もちろん亡き妻が眠るわが家の墓にも手を合わせてきたのだが、午後にはもう一度娘たちと一緒にそろってお墓に行き家族の思いを繋いできたいと思っている。
 お世話になったすべての方と亡き妻に、合掌、合掌。
平成29年8月2日
 劇団四季のミュージカル、「アンデルセン」を鑑賞してきた。結論から言うと大変素晴らしいものであった。劇団四季のミュージカルと言えば、今までも「オペラ座の怪人」、「コーラスライン」、「キャッツ」などを鑑賞してきたが、「アンデルセン」という作品のことは知らなかった。2ヶ月ほど前に劇団四季の理事長が来訪され、富山公演をぜひとも見て欲しいと要請があったことから足を運んだのだが、躍動感あふれる舞台に圧倒された。終演後に拍手が鳴りやまなかったのも当然である。役者たちの熱演の裏には厳しい猛稽古があるのだとも感じさせられた。なによりも若さがまぶしかった。
 違う意味での感動もあった。ストーリーの中にいくつも出てくるアンデルセンの作品に触れて、あることに気付いたのである。そうだ、僕は保育園に通っていたころにアンデルセンの「みにくいアヒルの子」を読んで、初めて物語というものに心を動かされたのではなかったっけ、と。子どもの頃の記憶が急に甦ってきたのだ。その時から物語を読むのが大好きな子どもになっていったのだ。そう思ったら、小学校に入学してすぐに大変大きな図書館の存在に気づき、驚くとともに嬉しくてしようがなかったという記憶も甦ってきた。爾来、本に囲まれた日々を送っているのだが、その原点はアンデルセンにあったのかも知れないなあ。そんなことをも思わされるステージであった。