平成23年3月31日
 いよいよ年度末である。元旦の朝に一度気持ちがリセットされた後、3カ月が経過することで知らずに惰性化したり緊張感が薄らいだりしてしまう。そんな中で年度替りをむかえることでもう一度リセットができることが良いと思う。この時期には毎年決まってそんな風に感じる。明日からは新年度。気合いを込めなおそうと思う。

 さて、東日本大震災の被害の全容がなかなかはっきりしない。毎日のように新しい報道がされるものの行方不明者の数が減ったようには感じられない。今日の記事では「震災孤児数百人か」というものもあった。子供達が学校ぐるみの避難で助かったものの両親や家族が死亡したり行方不明だというケースであろう。実態把握がなかなか進まないとの記事に歯がゆい思いを禁じえない。今朝の読売の一面に掲載された4歳の少女の写真に心を打たれた。両親が津波に流されても、きっと帰ってくると信じて待っているいたいけな少女の気持ちを思うといたたまれなくなる。この子の境遇を忘れないようにしたいと思い、読売新聞社にお願いして掲載された写真を購入した。この子に笑われない生き方をしなければならないと思う。怠け癖が出そうになったときにはこの写真を思い出したいと思う。

 今回の被災に際して、自らの命を捨てて周囲の命を救った殉教者のような人たちの報道も多い。崇高な生き様に頭が下がる。身を挺して他人を救ったすべての命に対し心からの敬意と感謝を捧げたい。
 その中の1人に南三陸町で自らが大津波に流されてしまう直前まで防災無線放送で住民に避難を呼びかけていた女性がいた。「早く逃げてください。」と連呼している声が記録されていることに心が痛む。町役場職員としてのこの女性の責任感に頭が下がる。
 時に女性は強い。昭和20年8月15日の後であるにもかかわらず進行してくるソ連軍から逃げ惑う樺太の人々に対して、最後の瞬間まで電話交換手としての責任を果たした9名の女性のエピソードに通じる。「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」と言って自決した乙女達。南三陸町で最後まで無線のマイクに向かった女性。彼女達に恥じない生き方をしなければならない。我が身は如何に。

 ところで今年のチンドンコンクールを中止したことに対して自粛すべきではなかったとする意見が届いた。考え方としてそういう意見があることは充分に理解できる。主催の中心である僕自身も富山商工会議所会頭も、当然ながら様々な考え方を飲み込みながら下した結論である。実施すべきだと主張する人たちの論拠も充分に視野に入れながらの結論である。中止と実施、どちらも全否定すべき考え方ではなかろう。最後は主催側の判断しかないのである。
 特に富山市は、2月に富山市立外国語専門学校の学生がニュージーランド地震に被災するということがあったことを忘れてはならない。何人もの学生が命を落としているのである。チンドンの予定日にはまだ犠牲者の49日の忌中があけていないのである。無くなった者や家族の胸中を思わない訳にはいかない。
 さらに言えば、もっと重い要素もある。それは東日本大震災を受けて天皇陛下が春の園遊会を取りやめるとされたことである。陛下のお心を思えば、予定されていた4月28日以前に鳴り物入りのチンドン流しをするわけにはいかない。と思う。
 例えば、桜を愛でることがあってもドンチャン騒ぎは如何なものか。石原都知事が「一杯飲んで歓談する状況じゃない」と花見宴会に嫌悪感を示していることに共感する。
 チンドンコンクールは戦後復興の意味があるので震災復興のきっかけにすべきとする論者もいたが、誤認がある。昭和27年4月の占領解除を受けて、戦後復興とわが国の独立を記念して、当時の富山市はいくつかの取り組みをしている。その流れの中からチンドンコンクールは生まれているのである。一定の復興が進んでからの激励応援イベントだったのである。今回の大震災はいまだその被害の全容さえあらわになっていない。いまだに1万人を超える行方不明者が存在するのである。そんな段階で復興の景気づけだとする意見には同意することはできない。被災者の心情を思えば、復興にも、その応援にも微妙なバランス感覚が必要だと思う。
 僕の中では、先に述べた理由で4月28日がひとつの基準日のように位置づけられている。ゴールデン・ウィークからは「日常」の回復かな。
平成23年3月15日
 東日本巨大地震、歴史的な大災害である。発生から4日が過ぎてもいまだにその全容が明らかになっていない。いったい何人ほどの犠牲者数になるのか。断片的に出てくる情報があながち誤報だとは言えないだろうから、最終的な被害は想像を超える甚大さになるに違いない。心痛これ以上のものはなく、我が身の非力を嘆くのみである。とにかく、一人ひとりができることは何かということを考えよう。それぞれの立場でなにをすべきなのかを考えよう。
 真の復興と言えるものがあるのかと問われると答えに窮せざるを得ない。亡くなった人々が蘇えることはないのだから…。それでも街の再建、人々の生活の再生という意味での復興に向けて果てしない作業が待っている。その営みの中で一人ひとりが協力できることは何かしらあるはずだ。日本中の人々は、当分は我が身に痛みが生まれても我慢ができるはずだ。被災者に対して家族のように手を差し伸べることはできるはずだ。そんな思いを共有しながら、国力を結集していかなければならないと思う。

 行政の立場で言えば、こういう大災害への支援の場合には各市町村が個別に対応するよりも全県的な体制でことにあたるべきだと思う。県が市町村にスタッフや部隊の派遣を求め「チーム富山県」を構成すべきだと思う。そしてそのチームは自力で宿泊場所をを確保し、自分達の食事も用意しながら、特定の地域に拠点的に支援の力を注ぐべきであろう。時間の経過とともに支援の内容も変化する。消防部隊による救出活動、上下水道などのライフラインの復旧、医療チームの支援、給水、食料など生活物資の配送、などなど数えればきりがない。そしてそういった現地での支援のみならず、例えば人工透析患者の受け入れのように病人やけが人の受け入れ、小学生や中学生などの一時受け入れ、希望者に対する公営住宅の提供などそれぞれの地域で準備しておくことも多い。先にも述べたがまさに国力の結集である。
 今こそ日本人の力を、日本人の美徳を、日本人の高潔さを、日本人の熱き思いを発揮しようではないか。

 政府においては早急に予算案の組み換えを行い、与野党が一致して財政的な手当を急ぐべきであろう。廃棄物処理法や遺体埋葬に関する法律や道路交通法や建築基準法など生活の安全を確保するために規定されている様々な法律についてその適用除外や例外適用が可能となる特別法の制定を急ぐべきである。緊急避難的に私権の制限のような超法規的措置についても逡巡すべきではないと思う。法の支配の下であっても智恵は湧くはずだと思う。何よりも優先されるべきものは被災者の保護と支援なのだから。
平成23年3月9日
 嬉しいことがある。以前から欲しかった高塚省吾の素描集が手に入ったのだ。画壇で重きをなすとか主流に位置するとかという画家ではないものの僕はこの人の裸婦画が気にいっている。自宅に一点だけ持っているのだが妻や娘達も評価してくれている。
 パステル画集が二種類出ていたのだが、それをいっぺんに買うことができた。なにせ画伯は3年ほど前に逝去されているので新しい作品を求めることができない。それだけにネット・オークションなどで見つけるしかなかったのだが…、偶然にも同じ日に欲しかったものがセットで手に入るなんて…。早速に注文した飾り額が明日届く。明日が待ち遠しいなあ。こんな気分になるのは久し振り。早くお気に入りの作品を家族に見せたいものだ。

 (嬉しい話の後はいつもの愚痴話しである。なるべく明るく愚痴ることにしましょ。)

 さて、例によって個人情報保護という大事な(滑稽な)話を披露したい。
 過日、金沢大学の留学生センターというセクションに電話で問い合わせた際の顛末だが、いい歳をしながら僕がひどく世間知らずだという事を教えてもらった。あり難いことである。
 ご存知の方もいると思うが、僕は数年前からイタリア語を学習している。なるべくネイティブな人と話をしたいと思ってはいるものの、僕の知るところでは富山にはイタリア人の若者がいない。そんな中で金沢大学に留学生が1人いると仄聞したので、可能なら紹介して欲しいと問い合わせた次第。「謝礼を払うので時々富山まで来て欲しい、可能なら留学生を紹介して欲しい。」と僕。「その学生は1年の短期留学が終わり3月末に帰国予定。」だとの返事。「一度だけでも会えたら嬉しいので、本人に意向を聞いて欲しい。」と僕。そのあたりからおかしくなり…。結論として留学センターの所管じゃないと言う。「アルバイトの話は生協に言うべき。」と。「じゃあ、その留学生にアプローチしようとすると窓口はどこになるのか?」「それを教えることは当該学生の個人情報になるので出来ない、なんと言われても絶対にできません!」「そんなこと言っても、さっきもうすぐ帰国すると言ったでしょ。当該留学生が分かっているのなら意向を聞いてもらうことは無理ですか。」「何度言ったら分かるのだ。この不埒者め!手打ちにいたすぞ!」いやはや…。立場が分からない訳じゃないけど、もうちょっと体温を通い合わせるような対応はできないものなのかと世間知らずな僕などは思ってしまう。1人しかいないイタリアからの留学生が3月末に帰国するという“大したことのない”情報は教えてもらえても、こっそり意向を聞いてもらうということは“大したことのある個人情報”に抵触するかも知れないからできないんだよね。そう、それが世間の常識だよね。そういう時代なのだよね。僕が時代にあわなくなっているのだ。
 参考までに応対した女性に名前を教えて欲しいと言ったらキチンと告げてくれた。それこそ個人情報だと言われるかと思ったが、キチンと対応していただいた。素晴らしい接遇である。さすがに旧制高校・ナンバースクールだよね。いやー、立派なものだ。恐れ入る。

 (再びのさて、)話は変わるが、過日、市役所内の郵便局で(今はJPとか言うんだったっけ)カミさん名義の口座から出金しようとした際のエピソードである。僕の配偶者であるカミさん名義の通帳とその届け出印を押印した払い出し伝票を添えて出金しようとしたところ、口座名義人であるカミさんの僕を受任者とする委任状が必要だと言う。予想をはるかに超えた厳格な対応に驚いた。確かにどう見ても僕は男性であり、口座名義人は女性と思しき名義である。本人じゃないと推測できる以上、念のために口座名義人の委任状が必要なのである。そうは申せ、真正な委任状かどうかを判断するために口座名義人の印鑑証明書と実印による押印を求める訳じゃない。届け出印による委任状が要件なのである。その印はまさに僕の手元にあるのに…である。でもまあ、あるべき対応だよね。当然のことであろう。
 しかし、口座名義人本人の意向確認を厳格にするということは簡単なように見えて実は大変に困難な作業だということを分かって欲しい。従って世の中の様々な手続きは一定の性善説に立った上で、合理的な範囲で事実確認をしているのじゃないのか。よくは知らないが、銀行においても同じような対応なのだろうか。正直、如何なものかと思うのだが…。もっとも、その際の当該JPの職員は素晴らしい人で、「カードで出金すれば委任状は要りませんよ。」と教えていただいた。ああ、なんと親切な! こうやって社会はまわるのだ。
 因みに、手元にカードがなかったこともあり、それでもと思い、違う郵便局の窓口に赴き通帳と届け印を押印した払い出しの用紙を出したところ実にスムーズに出金してもらった。手元に市役所内郵便局の人が親切にも渡してくれた委任状の用紙は残ったけれど、なんとか僕の希望は叶ったのであった。めでたし、めでたし。

 こういったエピソードを僕の言語感覚では滑稽という。滑稽な時代になったものだ。後日に責任を追及されまいとみんなで窮屈な社会を創っている現代が滑稽なのである。面識があるのに本人確認の書類を求める滑稽さや、チョッと配慮すれば血の通った交流が生まれるかも知れなくとも、マニュアルに従うことや後日の責めを避けるために“個人情報”を口実にかたくなな対応に終始する滑稽さ。実に面白い。こういう世間になったことをわきまえて暮らしていくということだ。へへへ。