平成13年7月31日
 やっと参議院議員選挙が終わった。17日間はやはり長くいささか疲れたが、色々な人に会えて良かったと思う。結果はご案内のとおり。非拘束名簿方式という制度がもたらす結果は意外な面もあり、興味深かった。いずれにしても当選した皆さんには頑張って欲しい。

 話は変わるが、最近の出来事で一番滑稽なものは富山大学の入試ミス隠ぺい問題において懲戒処分を受けた前副学長による処分案に対する異議陳述の請求である。自らの責任を認め反省を口にしていながら、処分が出されるとそれに対して不公平だとか過重だとか言って不服を言い出すという態度は「みっともない」の一語に尽きる。人の軽重を示すものの一つは事にあたった時の潔さだと思う。こんな人間がよくも国立大学の教授をつとめ、副学長の職にあったものだ!。富山県人のひとりとして本当に恥ずかしい。青春の大切な時にまわり道をしなければならなかった若者たちの心情を思う気持ちがあるなら、いや、何よりも公人としての自らの職責を真摯に考えるなら答えはひとつしかないと思う。
 同じように不服を言っているものが8人もいるという。こんな連中が教授陣だとしたら、若者たちは一刻も早く違う大学に編入を考えるべきではないのかとさえ思う。
 最近の世の中は程度の悪い連中が多すぎる。
平成13年7月24日
 今日も暑かった!。ライオンズクラブの行事で一日中外にいたので真っ黒になってしまい、小学生の娘にまでみっともないと言われてしまった。よく考えたら何か変だ。夏休みというのは子供が真っ黒になる時じゃないか?。何で娘が一日中、エアコンの利いた家の中で過ごしているんだ。たまには蝉でも追っかけろ!。
 日焼けでお風呂に入るのが辛いと思っていたら、上の娘が何か聞いたことの無いカタカナの名前の化粧品(?)を使ったらいいとアドバイスしてくれた。化粧品なのか薬なのか判らずに、「なんだって?」と聞き返したら、僕には反芻できないようなカタカナ言葉をもう一度繰り返して立っていった。そのあとで僕は半分意地で熱い風呂にゆっくりと入った。‥‥。やっぱりなんか変だ‥。
平成13年7月20日
 海の日である。今朝、玄関の掃除をしながら、はたして国旗を掲げようかどうか大いに迷った。確かに国民の祝日ではあるが、「海の日」のように新設された祝日と国旗とがマッチングしないような気がする。(もっとも毎日国旗を掲揚すべきだという考え方に立てば何をか言わんやということになるのだろうがノ。)街を歩いても今日は国旗を見かける機会が少なかったように思う。みんな迷っているのかもしれない。
 ところで梅雨が明けた日にこのコーナーの書きこみをしようとしたら小雨が降った。いよいよ梅雨明けだ!という文を書きたかったので翌日まわしにしたら、翌日もチョット降った。翌日,翌日と流れて今日になってしまった。これじゃ「今週の一言」ではなくて「先週の一言」じゃないかとお叱りを受けそう。恥ずかしや。
平成13年7月11日
 埼玉県のある警部補が市民から通報を受けながら放置しておいた結果、殺人事件が発生したことの責任をとって自殺したと報じられた。通報が生かされなかったことは警察内部のシステムも含め問題があったと思うが、死をもって責任をとるという姿(ことの是非は別として)にある種の感動と敬意を感ずる。冥福を祈りたい。
 このことの対極に、薬害エイズ事件の被告である「安部某」がひたすら自らの責任を否定し醜いほどに逃げ回っている姿がある。法的な責任を議論する以前に、当時斯界の第一人者であったということのみをもって責任が所在する。万死にあたいすると思う。醜い日本人が多すぎる。いつも潔さを帯びていたいものだ。
平成13年7月3日
 丸谷才一の「挨拶はたいへんだ」の中に面白いエピソードがあった。養老孟司の説によれば女性に青春はないのだそうである。養老先生曰く、「男の一生は幼年、少年、青年、中年、老年という具合に分節化されているが、女の一生にはそんなことはなくて彼女たちはノッペラボウな人生を生きているのです。」と。たしかに幼女とか少女、老女という言葉はあるが、青女や中女という言葉はない。その意味で、少女のまま時間を経てある時急に老女になるという意味なのだろう。(怖くて失礼な話しだが,あくまでも養老孟司の言葉なので誤解のないように。)
 しかし、男にしても女性と共有しない青春があるのだろうか。男がいて女がいての青春だ。僕の周りは今も青春を謳歌している女性でいっぱいだ。少女のような彼女たちに乾杯!