平成26年1月19日
 昨日、山田地区から「啓翁桜」が届いた。去年も一昨年もこの時期に届いている。外は非常に寒く雪も降っているのに、数本の枝にたくさんのつぼみをつけた桜の枝がわが家に届く。ほのぼのとした気持ちになる。今朝5時から起きて花瓶を取り出し水揚げをした。春はまだ遠い、せめてわが家の玄関だけでもつぼみが緩んでくれれば良いんだけど。去年のこの時期にも書いたが…、春よ来い、早く来い、といったところか。
平成26年1月15日
 13日の第92回全国高校サッカー選手権において富山第一高校が初優勝したことは本当に感動的であった。11日の準決勝も13日の決勝も国立競技場に足を運び応援したが、2試合ともすごい試合であった。感想や評価をゆっくりと活字にしたいところだが後日にまわしたいと思う。来月号の市の広報誌のエッセイで書いてみたいと思っているからである。今は素直に選手諸君の栄誉を称え、感動を与えてくれたことに感謝したいと思う。

 さて、今日はぜんぜん違う話を綴ってみたい。
 
 ここにきて年末に逝ってしまった友人の死を考えることが多い。喪失感に囚われている。妻が亡くなったときはそのことをなるべく考えないようにしながら、いわば気持ちを誤魔化しながら過ごしていたが、今は毎日逝ってしまった友のことを思う。今朝も片付け物をしながら、ふと「ああ、あいつはもういないんだなあ。」と思わされた。妻の死と友の死とではどこかが違うということだろう。不思議なものだなあ。
 年が改まってからも知り合いが急死するということがあったからだろうか。何故に周りで人が死んでいくのだろうかと考えさせられる。そういう歳になったということなのだろうか。大親友が逝ったときに、歳月はこうやって大切なものを奪っていくと書いたが、その結果として喪失感だけが残されているのだ。生きていくとは寂しいものだと思う。
 そういえば12月30日に若い頃に大好きだったミュージシャンの大滝詠一さんが亡くなった。1月4日には拓殖大学大学院教授の遠藤浩一さんが亡くなった。1月3日の産経新聞の「正論」欄の批評に溜飲を下げたばかりだったのに、その矢先の訃報であった。本当に驚いた。3日付けの[正論」では「現実主義と現実肯定主義を峻別し、後者の罠に嵌らぬよう注意することだ」と提言していた。もっともっとこの人の評論を読みたいと思っていたのになあ。まだ55歳である。
 10年ほど前に、保守の論客であった学習院大学教授の坂本多加雄さんが急死したときにも大変に驚いた。52歳での急逝であった。僕はこの人の評論で「ポーツマスの旗」を知り、それ以来大切な一冊だと思っている。こうやって質の高い言論人もまた若くして逝ってしまうのだ。
 坂本先生の著作に「スクリーンの中の戦争」というものがある。博識の政治思想家は映画通でもあったのだ。その著作の中に僕の胸が締め付けられるような一文を見つけた。
 「人はこの世に生まれ、出会いと別れを経験し死んでゆく。この原型がパターンとして永続されるのが、普遍的な人の歴史である。」すなわち「日常とは、この原型の上に成り立つ世界」だと言うのである。今の僕にはそこまでの達観はできないけれど、出会いと別れの経験を歳相応に積んだということなのかもしれないな。それでもやはり寂しさを消すことはできない…。

平成26年1月5日
 謹賀新年。今年も宜しくお願いします。

 さて、今年の初仕事が今朝早くから行なわれた卸売り市場の初競りの行事だった。毎年5日の早朝5時過ぎから水産物、青果物、そして花卉園芸部門の順に初競りが始まる。寒い時間帯である。不思議なもので5時頃よりも6時過ぎのほうがより寒く、底冷えがする。それでもいよいよ今年の市場が動き出すという熱気みたいなものが感じられて面白い。
 特に今朝はチョットいい話を聞いたので僕にとってはいつも以上に気持ちの良い初競りとなった。そのいい話というのがある方の次のような談話である。
 「やっぱり初競りは気持ちがいいね。最近の青果物は殆んどが相対の取引になってしまい、仲買や小売の人がたくさん集まって競りをすることが減ってしまったけれど、やっぱり商いの原点は競りなんだよね。初競りだからってチョット高く仕入れてしまって店に帰ってから女房に怒られるんだけど、それでも競りはワクワクするんだよね。自分の目を信じて競り落とした品物がちゃんと売れていくってことを実感できるのが商いの良いところなんだから。本当はみんな競りが好きなんだけれどもねぇ…。」
 取引の形態が多様化してしまった時代ではあるけれど、ホントはみんな昔かたぎの仕事が好きなのだと思わされた。そういう商い気質みたいなものが残っているところがいい話だと感じたのであった。どうということは無い話ではあるけれど。