平成23年5月13日
 昨夜のチョン・ミョン・フン氏指揮によるソウル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会は素晴らしいものだった。圧巻だったと言っても良い。アンコールの演奏が終わったあとで楽団員たちがお互いにハグしあって感動にひたっていたほどであった。さすがに世界のマエストロ、チョン・ミョン・フンである。その背中の表情だけで(指揮をしている間は僕らには背中しか見えない…)僕らを魅了していた。
 本当のことを言えば、僕自身はそんな風に評するほどクラッシック音楽に詳しい訳じゃないのだけれども…。それでも今回のコンサートの演目が僕の大好きなチャイコフスキーのバイオリン協奏曲で(ほんとにいちばん好きな楽曲)、かつ、ヴァィオニストの庄司紗矢香さんの演奏が繊細かつ力強いものだったので打ちのめされたという感じであった。
 それにしても、世界のマエストロ、チョン・ミョン・フン氏はよく富山公演にきてくれたものだ。東日本大震災の影響で多くの外国人アーティストが公演を取りやめる中で、東京、大阪でチャリティーコンサートをしたうえで特別に富山で上演してくれたのである。開演に際して、富山が好きだからどうしても来たかったと言ってもらったことが嬉しかった。彼は本当に富山が好きなのである。平成17年に初めてオーバード・ホールでタクトを振って以来、7年間で5度目の富山である。以前、韓国の人から聞かれたことがある。韓国の誇り、チョン・ミョン・フンがソウルで指揮をする機会でさえ少ないのに何故富山に何度も行くのか?と。ありがたいことだ。
 昨夜は打ち上げの食事会に呼んでもらって痛飲した。チョン氏に庄司さん、アーティスティック・ディレクターやその他のスタッフ、ファーストヴァィオリンをはじめとする演奏者たち、マネージメントのスタッフなど、多くの皆さんとの食事会に仲間入りさせてもらったのである。久し振りに楽しく盛り上がった時間を過ごさせてもらった。無礼講で羽目をはずしたと言っても良い。チョッと調子に乗りすぎたかな、とも思う。それでも、いろんな国籍の、いろんな目の色の、いろんな髪の色の、いろんな言語の、いろんな文化の、そんな、いろんな人たちと飲んで話して、良い時間を持てた。英語と韓国語とイタリア語と日本語と、そして僕にはまったく分からないドイツ語とフランス語、そんな多言語の世界が現出していた。それでも、酔っぱらっていたからなのだろう、結構奥深い会話が成立していた。なぜ酔うと忘れていた単語まで口にすることができるのだろうか。久し振りに多言語でしゃべりまくっていた。
 チョン氏は以前から僕のことを友達だと言ってくれていたが、昨夜の僕ら2人は酔ったいきおいでお互いに兄弟分だと言いはっていた。僕の韓国語を以前の水準にまでブラッシュ・アップするためにも毎年富山に来ると言ってスタッフを驚かせていた。本当にありがたい。僕のほうが1歳だけ年上なのを悔しがっていたのが面白かった。韓国の文化では、(儒教思想の中では、)彼は僕を立てなきゃならないのだから…。へへへ(笑)。
 世界のマエストロ。チョン・ミョン・フン氏。11月にヴェネツィアで会おうと強く誘われたけれど…、僕の事情では叶いそうにない。せめて、イタリア語の学習に力を入れて今度会う日のために備えておきたいと思う。いやいや、最近レベルが落ちている韓国語のブラッシュ・アップが先かな? いずれにしても、わが友?に言おう。また会う日まで、FORZA!!!と。
  

平成23年5月9日
 最近、驚くほど廉価な代行運転業者がいるようだ。どんな業種であれ、こんな経済情勢の中で新規に参入しようとすれば画期的な優れた技術を売りにするか、費用を低価格にするかというスタイルになることは理解できる。そうは言っても代行運転という業務である。安ければ良いというものでもあるまい。少なくとも僕は、気持ちよく酔っ払った後で超格安代行にわが身を預ける度胸は無い。超格安という事は超高リスクということと表裏一体だからである。安い代行が業として成立するからには標準価格の他社よりも頻度良く代行車を回転させなければならない。その結果、安全運転よりもスピード運転になるであろうことは容易に想像がつく。代行運転に身をまかせたら辿り着いた所が天国だったということも起こりうるということだ。質の高いサービスはそれなりの妥当な価格の下にこそ成立しうるものだ。物事には何であれ、妥当な相場感というものが形成される。安物買いの何とやら…とは良く言ったものだ。もちろん、それを承知で安物買いする人にあれこれ言う立場ではないけれど…。

閑話休題

 ところで今回の格安焼肉店の集団食中毒問題を受けて厚生労働省が生食用の肉の流通について新たな規制を検討していることに関して、早々にかの人が法改正の要望に出向いたという報道に触れて口元が緩んでしまった。すでに国の動きが報道されているのにご丁寧に要望される熱心さには頭が下がる。相変わらずさが健在でほほえましく思う。ありがたいことだ。
 それはともかく、記事によれば、かの人から「法改正がされるまでは生肉を食べることを基本的に避けて、安易な提供も控えるべき」との発言があったよし。もしも記事が事実なら、ちょっと待ってよと言いたいところである。食品の提供であっても基本的には販売する側と消費する側との相互の信頼関係の下に成立しているものだと思う。消費する側が信頼にたる提供者を選択し、かつその価格が妥当だと思うからこそ注文するのである。生肉であれ例外ではあるまい。信頼の置ける店が妥当な価格で提供してくれるのであれば消費者は自己責任において注文することが当たり前の事であろう。オカミのほうから「ただいましかるべき制度を検討しておるゆえに、しばらく自重をいたせ。ゆめゆめ生肉を食うではないぞ。」などといわれる筋合いではなかろうに。
 もとより食の安全を図るために様々な規制を検討をし、かつ実施することは大切なことである。社会全体の利益のためには妥当な規制が働くことも当然である。しかし一方では現に社会に存するある種の食文化やそれを支える業界の存在を忘れてはいけない。食中毒とは無縁で、徹底して衛生管理を行い、決して廉価さを売りにすることなく、安心して食することのできる生肉を提供している良心的な焼肉店が沢山あることを忘れてはならない。生肉を美味しく食するという食文化を全否定するような考えはどんなもんだろうか。
 国の官僚の物の見方からすれば、愚民は生肉を食することが安全であるかどうかの判断もできないのだから法や規則で規制しないと社会の安定は保てないということになるのであろう。一方僕らの発想はそうではなく、現にある食文化を維持しつつ、どうやってたちの悪い業者を排除したら良いのか、という視点になる。どちらも否定できない視点であり、立場なのである。でもまあ、そのうちに河豚の調理免許みたいな生肉調理免許制度ができるんだろうねえ。ありがたいことだ。
 ちなみに、一昨日の夜に馴染みの焼肉店に行って美味しく食事をしてきた。僕らは何の不安を感じることなくいつもの様に、否、いつも以上に生肉を食してきた。「生タン」、「牛刺身」、そして話題の「ユッケ」を堪能したきたのである。もう一度言うが、ポイントは店と客との信頼なのであり、法改正を待つことでないということ。(最近の僕はくどいなあ。)
 
 (酷い業者のせいで亡くなられた方にお悔やみを申し上げ、被害にあわれた方にお見舞いを申し上げる。)