平成23年6月30日
 気がつけば月末になっている。それも6月の末だから今年の半分が過ぎたこととなる。まさにTime Flies.といったところ。
 カミさんが入院したのが去年の9月だからちょうど10ヶ月が経過したということだ。途中何度か帰宅したり、年末年始には一時的に退院していたのだから厳密には連続して10ヶ月入院していたわけじゃないけれど闘病期間としては10ヶ月だ。思えば長い期間になる。患者本人の頑張りように頭が下がる。不満や愚痴もあるだろうに耐えているのだろう。彼女の努力に負けないように僕もやれることをやろうと思いながらの10ヶ月であった。なるべく毎日顔を見せて寄り添ってやることしかできないけれど、家族の力で病を乗り切りたいと思う。子供達にも感謝である。この頑張りが家族みんなを成長させている。僕自身も含め、人間磨きの時なのだ。
 いよいよ明日から今年の後半戦。暑さに負けずにやり抜こう。まずは早起きだ。
 
平成23年6月6日
 さすがのあの人もいよいよ観念したようである。このうえは一日も早く挙国一致救国内閣を作って欲しいものだ。この3ヵ月近くの迷走、あるいは停滞がもたらした影響はあまりにも甚大であり、元の輝きを回復することは極めて困難となろう。だからこそこれ以上の停滞は許されない。6月中に通さなければならない日切れ法案も多いと聞いている。いったん退陣を口にした以上、既にレームダック化してしまった。国際的な信用を回復するためにも即時・即刻身を引くべきである。それでも悪あがきが続くのだろうなあ…。
 それにしても2日の不信任案の採決前後のドタバタはあまりにも酷かった。
 もしも管総理と鳩山前総理と側近による採決直前の話し合いが報道されているようなもので、合意文書の行間にこそ4人の共通認識が潜んでいたのだとしたら、(管という人は、しばしばこういう言い回しで、前提条件を置いたうえで自分の意見を言うことが多い。最初からエクスキューズの途を作っておくという姑息なやり方である。今回は僕もこのテクニックを借用させてもらうこととする。) そこで形成された「やめる」という共通認識は他の大勢の前で語られたとたんに溶けてなくなってしまい、「そんなことは書いてないじゃないか」という姿勢に大変身したことになる。
 日本人の質がここまで落ちてしまったのかと思わされて情けなかった。すべてを言葉にしなくてもお互いの意を斟酌しながら合意を形成するという日本的な落ち着きのあるやり取りを、言った言わないという子供のけんかレベルに貶めてしまう感性はとても理解できない。まさに語るに落ちるという類の話だ。
 僕はかなり前からこの人の話しぶりや、いかにも覚悟というものの感じられない姿勢を批判したり揶揄してきた。このコーナーを遡って読んでもらえばよく分かると思う。
 すべてを口に出したり活字にしなくとも形成された共感や合意を尊重することこそが我々日本人のやり方じゃないか。お互いの信頼こそが基礎であり、担保など要らないのである。合意文書が合意の成立要件ではなくて信頼の上に作られた黙示の合意がすべてなのである。黙示のものであったことを奇貨として合意を変質させるというやり方は日本人としてあってはならないものである。そんな人間に信頼を寄せることなどとてもできない。もともとリーダーの資質など微塵も持ち合わせていなかったということだ。こんな人物がリーダーだったというくらいに我が国は劣化してしまったということか…。再生の途は険しいなあ。