平成21年1月26日
 オバマ大統領の就任式の大フィーバーで話題にのぼらなくなってしまったが、USエアウェイズ機のニューヨークのハドソン川への不時着には驚いた。エンジンが動かなくなった機体を操縦しグライダーのようにほぼ水平に水面に不時着させ、一人の死者も出さなかったのだから機長の技術は素晴らしい。そのうえ、すべての乗客を機外に脱出させた後で、自ら機内を二往復して誰も残っていないことを確認したうえで初めて機長が脱出したとも報道されている。それが機長としての当然の責務だとしても、すでに川水がかなり浸水していた機内をくまなく見回ったということだから賞賛に値すると思う。事故後の機長のコメントがまた良い。「われわれ乗務員は、訓練していたことをただ実践しただけです。」というもの、プロフェッショナルの仕事とはこういうことを言うのだろう。世の中には人物がいるものだということか。
 このニュースを聞いて、平成11年の埼玉県での航空自衛隊の飛行機墜落事故を思い出した。この事故では乗っていた二人のパイロットが死亡している。実はこの二人のパイロットは事故の直前に飛行機の異常に気がついていたのだ。したがって直ぐに非常脱出装置で脱出すれば助かることが可能だったのである。ところがその時点で飛行機は市街地の上空を飛んでいたのである。脱出すれば、飛行機は失速して墜落し大惨事になる。パイロットたちはそれを避けるために入間川の上空までなんとか操縦し、河川敷に墜落したのであった。この事故は、プロフェッショナルたるもの非常時には自分の命を捨ててでも社会の利益を守るのだという覚悟を持っていなくてはならないということを教えてくれている。我が胸中の覚悟は如何に。
平成21年1月21日
 オバマ大統領の就任式と就任パレードを見て感動させられた。新聞で日本語訳の就任演説を読んだが、格調の高い素晴らしい内容だと思う。演説を一字一字目で追いながら、時折、テレビに流れるパレードの様子を見ていてアメリカはすごい国だと思わされた。200万人ものアメリカ人が集い、心を一つにして歓喜の声を上げている。アメリカ人の国家観、生きるうえでの価値観といったものに触れたような思いだ。われわれがここまで心を一つにして日本を意識することがあるのだろうか。オバマ新大統領がアメリカの再生を誓ったように、我々もまた日本の再生の尖兵にならなくてはならない。そんな思いにとらわれている。
 歴史の転換点にさしかかっているのかもしれないなあ。
平成21年1月7日
 年末年始を家族そろってソウルで過ごした。家族全員でのんびりできる機会を持つのは難しいのだけれども、年末年始にはそれが可能となる。もちろん、そろって家にいてもいいのだけれども、カミさんをすべての家事から解放させるためにもこの時期はどこかに出かけることとしているのだ。ソウルに行ったからと言ってもあちこち観光に出るわけじゃなく、少し街をうろついては美味しい物を食べるという、まったく怠惰な時間を過ごしてきた。まあたまにはいいかなぁ、と勝手に納得している次第。
 さて、今回のソウル行きで最も楽しみにしていたことは、15年ぶりでかつての韓国語の先生に会うということであった。僕が韓国語の勉強を始めたのが1989年の暮れである。NHKラジオのハングル講座を熱心に受講していた。やがて富山大学に留学していた女子学生に習うこととなるのだが、その留学生だった女性と久々に会うことができたのである。彼女の名前は朴 銀貞という。1991年から1994年まで富山大学にいて、その後広島大学の大学院に移っていったためその後に会うことがなかったのだ。広島に移った後に何度か電話で話したことがあるものの、忙しさにかまけていたら連絡が不通となっていたのだ。今回、いろんな方のおかげで15年ぶりに会うことができて本当に嬉しかった。現在はソウル市内の私立大学で日本語を教えており、両親と同居していると語った。思えば一度だけ彼女の父親とソウルのホテルであったことが会ったなぁ。僕が一人で訪韓した折に彼女に頼まれて父親に会い、衣類や食料などをことづかって来たのだ。その際に、くどいくらいに娘をよろしく頼むといわれたことを思い出す。先般大阪にいる娘が高熱を出した際に、知人の親戚の女医さんにお世話になっただけに、異国に娘を留学させていた彼女の父親の当時の思いがよく分かる。僕が当時わずかでも彼女の両親に安心感を与えることができたのだとすれば嬉しいことだ。
 彼女に限らず、若い頃には何人もの留学生と交流していた。自宅に呼んだり、アルバイトを用意したこともしばしばだった。そんなことが廻りまわって、現在大阪と西宮に住む娘たちがいろいろな人のお世話に預かっているのかもしれない。いろいろな人のお陰で生かされていることを知る娘たちになって欲しいと思う。
 朴さんから一冊の本を貰ってきた。イ・チョルファンという韓国の作家が書いたエッセイ集である。エッセイとは言え、文体はほとんど詩のようであり、内容も実話にもとずくとは言え、心が洗われるような珠玉の文章であり、感動した。もちろん日本語に翻訳されておりタイトルは「こんぼパン」という。娘たちにも読ませたいと思い何冊か買おうとしたところ、日本の出版社から発行されておらず書店で注文することができなかった。さいわい「ラブソナタ出版部」という出版社名を手がかりにネットで調べると日本支社が見つかり、思い切って10冊注文することができた。2月の中旬には届く予定。届いたら秘書課の職員などいろんな人に薦めてあげたいと思う。それくらいに感動的な良書なのである。少なくとも僕はそう思う。朴さんに心からの感謝。
平成21年1月7日
 年末年始を家族そろってソウルで過ごした。家族全員でのんびりできる機会を持つのは難しいのだけれども、年末年始にはそれが可能となる。もちろん、そろって家にいてもいいのだけれども、カミさんをすべての家事から解放させるためにもこの時期はどこかに出かけることとしているのだ。ソウルに行ったからと言ってもあちこち観光に出るわけじゃなく、少し街をうろついては美味しい物を食べるという、まったく怠惰な時間を過ごしてきた。まあたまにはいいかなぁ、と勝手に納得している次第。
 さて、今回のソウル行きで最も楽しみにしていたことは、15年ぶりでかつての韓国語の先生に会うということであった。僕が韓国語の勉強を始めたのが1989年の暮れである。NHKラジオのハングル講座を熱心に受講していた。やがて富山大学に留学していた女子学生に習うこととなるのだが、その留学生だった女性と久々に会うことができたのである。彼女の名前は朴 銀貞という。1991年から1994年まで富山大学にいて、その後広島大学の大学院に移っていったためその後に会うことがなかったのだ。広島に移った後に何度か電話で話したことがあるものの、忙しさにかまけていたら連絡が不通となっていたのだ。今回、いろんな方のおかげで15年ぶりに会うことができて本当に嬉しかった。現在はソウル市内の私立大学で日本語を教えており、両親と同居していると語った。思えば一度だけ彼女の父親とソウルのホテルで会ったことがあったなぁ。僕が一人で訪韓した折に彼女に頼まれて父親に会い、衣類や食料などをことづかって来たのだ。その際に、くどいくらいに娘をよろしく頼むといわれたことを思い出す。先般大阪にいる娘が高熱を出した際に、知人の親戚の女医さんにお世話になっただけに、異国に娘を留学させていた彼女の父親の当時の思いがよく分かる。僕が当時わずかでも彼女の両親に安心感を与えることができたのだとすれば嬉しいことだ。
 彼女に限らず、若い頃には何人もの留学生と交流していた。自宅に呼んだり、アルバイトを用意したこともしばしばだった。そんなことが廻りまわって、現在大阪と西宮に住む娘たちがいろいろな人のお世話に預かっているのかもしれない。情けは人のためならずということか。いろいろな人のお陰で生かされていることを知る娘たちになって欲しいと思う。
 朴さんから一冊の本を貰ってきた。イ・チョルファンという韓国の作家が書いたエッセイ集である。エッセイとは言え、文体はほとんど詩のようであり、内容も実話にもとずくとは言え、心が洗われるような珠玉の文章であり、感動した。もちろん日本語に翻訳されておりタイトルは「こんぼパン」という。娘たちにも読ませたいと思い何冊か買おうとしたところ、日本の出版社から発行されておらず書店で注文することができなかった。さいわい「ラブソナタ出版部」という出版社名を手がかりにネットで調べると日本支社が見つかり、思い切って10冊注文することができた。2月の中旬には届く予定。届いたら秘書課の職員などいろんな人に薦めてあげたいと思う。それくらいに感動的な良書なのである。少なくとも僕はそう思う。朴さんに心からの感謝。
平成21年1月4日
 若干 遅ればせではありますが、明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 僕は平成8年のお正月から年賀状を出していないという、とんでもないズボラ男です。日本一の不義理おとこです。社会的常識も欠落し、友情も薄く、周囲への感謝の気持ちもない薄情者だとも言えます。しかし、そんな僕にも多くの皆さんが毎年年賀状を出してくださいます。まことに嬉しく思います。正月の三が日は申し訳なさと恥ずかしさにとらわれています。皆さん今年もありがとうございました。年賀状代わりにはならないけれども、せめてこの稿をもって新年の挨拶とさせていただきます。 2009年も大切な年です。全力で突き抜けたいと思っています。虫の良いお願いですが、年賀状の不義理をご寛恕いただきなにとぞのご支援をお願い申し上げます。

 さて突然ですが、二ヶ月ほど前から頭を離れない稚拙なアイデアを披露したいと思います。
 現下の経済状況を考えたときに効果的な内需拡大策を打たなくてはならないことは論を待ちません。国の20年度の二次補正案や21年度の当初予算案において様々な政策が打ち出されています。何よりも過去最大規模の当初予算額となっていることは驚くべきことです。現在の閉塞感を打ち破るためにも一日も早い成立を期待するものです。
 そのうえで次のような施策の検討は如何でしょうか。例えば向こう5年間という時限をきった上で、親から子への生前贈与にかかる贈与税を課税せず、将来親が死亡した時点で生前の贈与分も含めて遺産の総額と捉え相続税の対象とするという案です。これまでも農地の生前一括贈与などのように特例的に類似の納税猶予制度がありますが、僕の提案では親から子への全ての贈与にこの特例を拡大するというものです。こうすることによって時限内での贈与が増加し、親が有している資産、中でも凍結状態にある金融資産が動き出し、子ども名義の住宅建設や自動車の取得などが活発になることが期待できます。一方、この特例がない現状ではもともと発生していない贈与ですので現在納められている贈与税総額に大きな穴を開ける可能性は低いうえに、贈与税の納税猶予の申告を条件にしておけば将来の相続税申告の際に全てを相続財産として補足することは容易であり、結果として贈与税の納税猶予の特例による減収分を他の財源で補填する必要は低いといえます。
 せっかく形成された高齢者の金融資産や不動産資産が眠ってしまっているとしたら、社会全体としては必ずしも歓迎すべきことだとは思えません。金も人も動き出してこそ経済が活性化することは当然です。親と子の間で資産が少しでも流動化することで内需拡大の一助にならないものだろうか。同時に家族のあり方にも刺激を与えるのではなかろうか。家族像の回復かな?
 幼稚な提案だと嘲笑されそうではありますが、お屠蘇気分でそんなことを考えていた正月でした。