平成16年10月28日
 新潟県中越地震はひどい状況を呈している。気温が下がる時期だけに被災して非難している98,000人にもおよぶ人々の健康が案じられる。大きな余震が続いているだけに新たな被害の発生も心配だ。せめて余震が早くおさまれば良いのだが。
 新潟県の対策本部が混乱していると見えて救援要請や具体的な応援について情報が入ってこない。富山市としては発生した日に直ちに消防隊を派遣し、翌日には給水車などが出動したものの、その後の対応は新潟県対策本部の指示を待つことが妥当と考え待機していたものである。しかしながら自らの判断で先ずは十日町市に先遣隊を派遣し、同市と協議をした上で明日から職員を具体的な現地作業要員として派遣することとなった。今後もできる限りの支援をしていきたいと思う。新潟の皆さん、頑張ってください。
 ところで、亡くなられた方にはお悔やみを申し上げるしかないものの、土砂に埋まった車の中から92時間後に救出された優太ちゃんの生還ニュースには驚いた。まさに奇跡である。独りで車内にあったミルクを飲んでいたというから2歳の子供の生命力はすごいと思う。暗闇と孤独と寒さ、そして飢え。まさに絶望的な状況を僕らは生き抜くことができるだろうか。感動の涙を禁じえない。
 かつての日航ジャンボ機墜落事故の際に奇跡的に救出された川上慶子さんを思い出した。彼女が立派に成長したように、優太ちゃんにも母親と姉の死を乗り越えて力強く成長して行ったほしいと思う。大きく元気に育て。
平成16年10月20日
 そういう年頃なのだろうか、最近僕の周りで親を看取ったという人が多い。長寿の時代なので70代で亡くなった方の訃報に触れる時には「まだお若いのに‥。」と思わず口にしてしまう。平均寿命より若いのだからそのとおりなのだが、それだけに親が逝ってしまったという悲しみをいっそう増幅させているようで、言った先から口をつぐむことも多い。どういう風に言ってあげたら良いのだろう。
 そもそも目の前の人から、親を亡くしたと聞かされた時にどのように反応すればよいのかということ自体が難しい。子供を亡くした悲しみに打ちひしがれている友人に対して何も言うすべが無かったという経験もある。
 人間、50代にもなればいろんな経験を積んでくるものの、肉親の死によって悲嘆にくれている人にどう接すれば良いのかということになると20代の頃の自分と大差ない。人間の成長というものは難しいものだ。

 おかげ様で僕の両親は健在だ。今朝も二人の顔を見たがまったく「病っ気(やまいっけ)」は無さそうである。有難いことだ。
平成16年10月12日
 いよいよ富山市内でも熊の被害が発生してしまった。被害者の3名の方にお見舞いを申し上げたい。一日も早く快癒されることを願うばかりだ。
 それにしても中山間地や里山に近い地域だけでなく、昨日のようにほとんど住宅密集地にまで出没するとは驚きだ。本来の熊の生息地はもっと標高の高いところであり、住宅地に出没することは異常である。原因としていろいろと言われているが、一言で言えば山に餌がなくなったということである。それでは何故山に餌がなくなったのか。森林が荒廃したからだという人もいるし、台風のせいだとする人もいる。また、ねずみが増えすぎて木の実を食べつくしていると指摘する人もいる。
 冬眠を前にしてもっとも栄養を摂取しなければならない時期に空腹を抱えてさまよう熊は哀れである。哀れではあるが人を襲った以上、更なる被害が発生しないように対策を取ることが必要であり、危険があれば射殺することも止むを得ないことである。
 通常は12月の中旬から下旬にかけて冬眠に入るそうであるからそれまでは出没する可能性がある。特に川沿いに山から下りてくることが予想されるので川沿いの地域では注意が必要だ。
 いずれにしても里山が荒廃したことにより人間界との境界線が消滅しているのである。共生が難しい以上、どうやって熊に境界線を認識させたらよいのだろうか。難しい問題である。