平成15年12月26日
 いよいよ今日が執務収め。九日間の長い休みに入ります。歳末消防警戒などの行事はあるのだけれども、ゆっくりと休みたいと思う。今年一年を振り返って検証したり反省したりする時間としたい。
 今年も多くの人のお世話になった。おかげさまの気持ちで新年を迎えたいと思う。来年はいろいろな意味を込めて「進化」する年としたいと考えている。大進化の年だ。

 去年 今年 貫く棒のごときもの (虚子だったかな?) 

 という心境だ。輝かしい年であるように期待して今年の書き込みを閉じます。
平成15年12月17日
 ついに富山市においても児童に対する通り魔事件が起きた。切りつけられた児童の傷が深くなかったことは良かったのだが、おそらく心にも傷を負ったに違いない。周囲の配慮が必要だと思う。それにしても異常な世の中だ。オカシナ手合いが増えてきているのだ。危険な存在であることがうかがえる場合にも個人の人権に配慮するあまり対策が取られていないという側面があるのではないのか。みんなが考えなければならない問題である。
 また、これでしばらくは外で遊ぶ子供が減るのだろうと思う。このことも大きな問題だ。遠くから子供たちの遊びまわる声が聞こえるような地域社会が本当だと思うのだが。
平成14年12月9日
 同級生が急逝した。急性心不全とのこと。正義感が強く信頼の置ける人間であり、彼の業界のことをはじめとして幅広く社会活動に取り組み、またいろいろなアピールの発信もしていた。僕自身も随分と世話になった。感謝に耐えない。それだけに大ショックを受けている。いい人ほど先に逝くという言葉が身にしみる。
 今年はもう一人、同じく随分と世話になった友人を亡くしている。彼も同級生だ。何人かの同級生と昨日から今日にかけて話したが、全員がショックを受けており、みんなが「何でアイツが?」との思いを抱いている。同時に齢五十を向かえた現実に直面した思いでもある。いよいよ具体に死を意識させられる時期なのだ。毎日を大切に生きよう。先に逝った彼らの分まで。それが残された者の義務だ。
 心から友の冥福を祈る。 合掌。
平成15年12月4日
 イラクで殉職した在英国大使館の奥克彦参事官と在イラク大使館の井ノ上正盛三等書記官に弔意を表すべく外務省にて記帳をしてきた。事件以来の報道に注意を払ったきたが、遺影を前にするとあらためてテロに対する怒りがこみ上げてくる。国家とイラク復興のために命を投げ出した若き外交官の勇気と崇高なまでの精神に心打たれる。
 今までにもカンボジアで殺害された中田厚仁さん、高田晴行警部補、タジキスタンで殺害された秋野豊筑波大学助教授などのケースがあったものの、わが国を代表する外交官に対する襲撃の持つ意味は深い。国家に対するテロである。今こそ一人ひとりの国家観が問われると思う。そうは申せテロリズムに対して宣戦布告をするわけにもゆくまい。ここは毅然としてイラクの復興支援の具体的行動を進めることが大切だと思う。二人の死を無駄にしてはならないのだ。僕に若さと能力があればかの地に飛んで行きたいとさえ思う。
 二人に対し改めての弔慰を。合掌。
平成15年12月3日
 必要があリ戸籍の全部事項証明書を取ってみて気付いたのだが、今日は我々夫婦の結婚記念日であった。それも結婚25周年、いわゆる銀婚式という節目の年であった。
 思えば25年前の今日はどしゃ降りの日であったが、当時の僕の自宅でささやかな結婚式をした。特別な披露宴はしなかった上に、翌日からすぐに仕事が待っており、少し日を経てから九州へ遊びに出かけたことが思い出される。以来、今日までいろいろな事があった。妻が大病に臥したこともあったが、二人の娘にも恵まれそれなりに暮らしていられるのだから幸福な25年間であったと言えよう.仕事はもちろん、選挙のことなどもありカミさんには随分と苦労をかけた。僕の人生の半分の期間を一緒に暮らしてきたのだから、戦友であり、運命共同体である。毎日を忙しく過ごしているけれど、それが一番良いことなのだと思う。口に出すのは照れくさいが、改めて感謝の思いを感じている。
 この文章の書き込みを妻はすぐには気付かないだろうけれど、こっそり書き込むことで結婚記念日を忘れていたことの言い訳にしようと思う。オカアサン、これからも宜しく!