平成29年2月27日
 文部科学省が2月14日に発表した次期学習指導要領の改定案に信じられないような内容が含まれていた。なんと、聖徳太子の名前を「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換えるというのである。新聞でその記事を読んで、なんじゃそれは!!と絶句してしまった。不明にも歴史学会の常識や論争を知らないので、どういう背景があって唐突に聖徳太子が厩戸王に置き換えられることになるのか分からないでいたところ、過日の産経新聞上の正論欄で、尊敬する拓殖大学客員教授の藤岡信勝先生が詳しく論じていらした文を読んで、その背景にある危うさを感じた。聖徳太子の名は日本人のすべてが日本国の親柱として受け止めている存在であろう。中国大陸との外交において、「日出ずる処の天子、書を、日没する処の天子に致す」という文言で対峙し、日本が支那の皇帝に服属する秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家である理念を示した大政治家であり、大偉人である。その聖徳太子という名前が死後におくられた呼称であり、正しい名前は「厩戸王」なのだから、これからは歴史教育上はそういうふうに教えていこうとするのが新しい方針らしい。ちょっと待てよと言いたい。死後に付けられたという理由でその呼称が使えないということになれば、僕らの中で常識化している多くの歴史上の人物の名前を諡号(しごう、おくり名)で言わず、大和言葉の長い名称で言い換えなければならないことになる。そもそも聖徳太子という呼称は今日現在の日本人の圧倒的大多数が敬意をもって認知しているものであり、日本人の精神的価値観の中心にドンと存在する心棒のようなものである。歴史学の学者たちがどんな意図を帯びて文部科学省に圧力をかけているのかは知らないけれど、聖徳太子という呼称を教育から抹殺しようとする意味を理解することができない。今は使われていないけれども、紙幣を代表する言葉として聖徳太子は長く意識されてもきた。それくらいに尊敬の対象として定着しているのである。歴史学上での評価は知らず、聖徳太子は日本人の精神の底流に流れている孤高の光りとも言うべき存在なのだと思う。少なくとも僕はそう思う。「日出ずる処の天子」なのである。それが急に「厩戸王」と言われてもねえ。僕は思う。聖徳太子は聖徳太子なのだと。
平成29年2月22日
 『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』を読んだ。島尾敏雄のベストセラー作品「死の棘」の中でこれでもかというくらいに暴かれている敏雄と妻ミホとの愛と狂気と格闘劇。その重いストーリーの一方の当事者である島尾ミホの評伝である。著者の梯 久美子さんの取材力はすごいと思う。なによりも一つのテーマを10年以上もの間、追いかけ続けるというその意志に驚かされる。本当の物書きだと思う。
 内容は重くて暗い。狂気を追いかけ、分析しようとするのだから当然である。読み終えるのに随分と根気が要った。こういう人生もあるのだなあ。「戯れに恋はすまじ」といったところか。
平成29年2月13日
 鳥取の雪がひどい。市街地での積雪が90㎝以上とはね。富山でもこれほどの積雪はほとんど無いのに。はたして富山の市街地で膝まで雪に埋まるという積雪はこの20年ほどの間にあっただろうか。除雪体制や日頃からの雪への構えがこんな大雪を想定していないだろうから除雪対応できていないことはある意味当然のことだ。数年前に山梨県で除雪が追い付かず、孤立集落が幾つも発生した件に似ている。山陰道で100台、国道9号線で150台が立ち往生しているとのことだが大変なことだと思う。先月にも同じような報道があったが、その際は沿道の住民が炊き出しをしたりトイレの提供をしたりしたとのこと。こんどもそんな対応がなされているに違いない。住民の暖かさが心にしみる。日本の社会の地縁の力である。応援のエールを遠くから送ることしか僕らにはできないのだけれども頑張ってほしいと思う。12月の末に国道9号線も山陰道も車で走ってきただけに他人事とは思えない。道路から見える街並みには地震の影響でブルーシートを屋根に載せてある家がたくさんあったのだが…。早く雪が峠を超え緩んでくれることを願うばかり。