平成29年5月29日
 全国植樹祭にご出席されるため一昨日からご来県されていた天皇皇后両陛下が先ほど富山空港から特別機でお帰りになった。大変に名誉なことに、一昨年の海の祭典でのご来県時と同じように有り難い機会をいただき、昼食を御一緒させていただくことができた。今回も親しくお話をさせていただき感激に堪えない。有り難いことだと思う。昨夜、皇后様の御歌(みうた)を何点か復習しておこうと思い立ち一冊の本にさっと目を通した。何回読んでも皇后様の深いお心を感じさせられる御歌ばかりである。興味のある人の為に一冊の本を紹介したい。「皇后宮美智子さま 祈りの御歌」(扶桑社)である。竹本忠雄というアンドレ・マルローの研究では国際的に著名な学者が天皇皇后両陛下の慰霊の御姿に感動し、皇后陛下の御歌に心を打たれてその研究を重ねたうえで発表した御歌撰集である。皇后陛下の美意識や道義的厳しさ、お心の美しさが伝わってきて感動させられる良書である。お薦めします。
平成29年5月27日
 沖縄県石垣島を拠点とする日刊紙「八重山日報」がついに沖縄本島で新聞の発行を始めた。反米・反基地イデオロギーに染まる既存の超偏向紙2紙、「沖縄タイムス」と「琉球新報」が君臨する沖縄で「中立公正な報道の実現」を掲げる「八重山日報」の挑戦は沖縄を変えることができるのか。大いに注目したい。理性的で勇気にあふれた仲新城 誠編集長を何とか応援できないかと考え、この「八重山日報」を定期購読することとした。もちろん購読料に加えて送料を負担することになるが、発行部数の伸長に協力することは経営の安定につながるはずだ。遠く離れた地にも「中立公正な報道」に期待する者がたくさんいることを示すことにもなる。興味のある方がいればご連絡ください。購読方法を伝えます。
平成29年5月19日
 先週号の「ニューズウィーク」誌に面白い記事があった。トランプ大統領は就任以来100日の間に500件のツイートをしているらしい。そしてこの500件のツイートで9152語を使用しているのだが、単語の種類は2215個だけだというのである。一般に英語を母語とする人間が文章を書くときには少なくとも2万語を使うということも紹介されているが、その例に倣えば、トランプさんの語彙数は極端に少ないと言える。たしか、大統領選でのトランプさんの演説を分析して彼の文法が小学5年生程度だと結論付けた報告もあったっけ。いずれにしても難しい表現や難解な単語が使われていないということなのだろう。去年、日経新聞の記事であのソフトバンク社長の孫正義氏が講演などで使う単語を分析したところ、わずか1480語だったというものがあった。海外企業のM&Aなどを仕掛け続けている孫正義氏。シビアな交渉に際しても通訳に頼らず、自分で英語を話すとも聞いている。それなのに1480語とはねえ。1500語程度なら僕の頭の中にも有りそうだけどね。もうチョット頑張れということか。
平成29年5月5日
 今日の午後、佐渡から帰った。朝、旅館をチェックアウトした後、フェリーの時間まで余裕があったので能舞台二か所を見に行ってきた。離島ゆえに継承された能文化。素晴らしい財産だと思う。見せてもらうことはできないのだけれども個人で所有している能舞台もあるらしい。二か所の能舞台を見て、佐渡の能文化は予想以上に深いものがあると思わされた。二か所目に行った神社では、明日薪能があるので、その準備だと言って4、5人の住民が神社の周りを清掃していた。清々しい気分で古い能舞台に触れることができた。有り難いことだと思う。
 ところが、もっと有り難いことに、その二か所目の能舞台の場所に行く道を間違えてしまい、すぐ近くまで来ていながら田植え作業中の田んぼ沿いの農道でナビを設定しなおしていたところ、なんと目の前に放鳥されたトキが一羽飛来してきたのである。不思議なことがあるものだ。フェリーの出発時間までの時間つぶしにウロウロしていただけなのに…、いつもよく現れるという場所とは離れている加茂湖の近くにトキが飛来するなんて…。奇跡的な出会いに感動した。そんな感動を胸に、慌てることなく、ゆっくりと穏やかに帰宅することができた。つくづくと、良い旅であった。

平成29年5月4日
 いよいよ今日は佐渡の「高千」というところにある英軍機着陸記念塔に行ってきた。思っていたよりも大きな集落ではあったが村人と思しき人と出会わず残念であった。佐渡はどこに行っても家族総出の田植えの真っ最中であり、わざわざ遠くまで記念塔を見に来る物好きな人間に付き合ってくれるような暇人がいないのも無理はない。1人で満足感に浸りながら写真を撮って帰ってきた。良い旅であった。
 
 面白いエピソードを2題。

 一つ目はは昨夜の宿での夕食時のもの。熱燗を3本注文したところお銚子3本とお猪口が3個きた。あまりに小さいお銚子だったのでもう2本を電話で追加注文した。もちろんその際にはお猪口は余っているのでいらない旨を申し添えた。にもかかわらず、(密かに予想した通り)、お銚子2本とお猪口が2個届けられたのであった。あまりにも仕事をマニュアル化したり分業化するとこういう滑稽なことが起きるのである。今朝チェックアウトした際に目にした写真によれば、昭和天皇も宿泊された老舗旅館であるらしいのだが……。
 二つ目は島内を移動中に目にした信号機に掲出されている地名のこと。なんと「金沢駅前」というものと「畑野駅前」というものを見かけた。運転しながら、見間違えたのかな?などと頭が混乱してしまった。なぜなら佐渡島には鉄道も軌道も存在しないからである。いや、存在したこともなかったと言うべきか。にもかかわらず、なぜ駅前という地名があるのか訝しく思いながら走っていた。調べてみると、大正時代から昭和初期にかけて佐渡に鉄道を開設したいという運動があったらしい。ところが何度政府に要望しても却下されるばかりでらちがあかない。それでも軽便鉄道敷設の希望が強まるばかりであったらしい。やがてこの鉄道建設計画運動の名残が路線バス経営会社に受け継がれ、バス会社は主要なバスターミナルを「駅」と称していた時代があった。その結果、現在も「○○駅前」を称する地名が残ったということらしい。世の中には予想もしないことがあるものだ。だからこの世は面白い。
平成29年5月3日
 「飛べ!ダコタ」という映画をご存知だろうか。実話に基づく良い映画である。終戦直後の佐渡島が舞台。佐渡の外海府に高千という集落がある。その集落の海岸に、イギリス軍の将校が乗ったダコタという飛行機がエンジントラブルで不時着してしまった。島民の中には息子や親などの近親者が戦死している者、家族が生死不明のまま連絡が取れていない者、戦傷によって身体が不自由な者、未だに復員していない家族を持つ者などさまざまな事情を抱える者が多く存在していた。多くの者が敗戦という事実に対して複雑な感情を抱き、戦勝国に対して憎悪感や嫌悪感を否定できないでいた。そんなまっただ中に、不時着した機と乗員数名が放り出されたのである。村長をはじめとした村のリーダーたちは議論を重ねながらも困難に直面している者たちを暖かくもてなし、機体を住民総出で引っ張って高波に遭わぬよう移動させ、ついには砂浜に石を敷き詰めて滑走路を造ったのである。修理を終えた機は無事にその滑走路から飛び立ち、イギリス軍人たちは帰隊することができた。その過程で敵に協力できないと主張する一部の島民に対して村長が説得する言葉が素晴らしい。「佐渡もんは、上皇様から無宿人までこの島にたどり着いた者は昔から全てもてなしてきた。それが佐渡もんの生き方じゃ。それが佐渡という地というものだ。」という趣旨であった。佐渡人の心根の大きさとやさしさに感動させられる。そのうえこのエピソードは、誰に自慢するでもなく、語り継がれるでもなかった。助けられた軍人の子孫が何十年もたってから謝意を伝えたくて訪日したことから世間に知られるところとなったのだ。佐渡は手柄話をしないという素晴らしい文化の地なのである。良いなあ。
 この映画を見て以来、一度はその高千というところを訪ねてみたいと思っていた。今日はそのために佐渡に上陸。明日は小さな着陸記念塔があるという滑走路の跡地を訪ねることとしている。時にはこんな旅も良いなあ。

 今日の移動中に「真野新町」という地域を通った。チョットした商店街であった。そして、この商店街の両側に立っている街灯のすべてに日の丸が掲出されていたのである。数百メートルにわたり、道路の両側にはためく日の丸。素晴らしい光景であった。沿道の住民の総意がそこに見て取れる。日の丸や君が代を大切にしようとしないどこかの政党の支持者はこの街にはいないということだ。なんと素晴らしい地域であることか。佐渡はやっぱり良いなあ。

 せっかく来たのだからということで「トキの森公園」にも行った。3度目の訪問である。前回は空を飛んだり田んぼに降りて餌をついばむ、放鳥されたトキに出会うことができたのだが、今回はトキ「ふれあいプラザ」で飼われているトキしか観察できなかった。展示されている一組のつがいの巣で4個の卵が確認されたのだが、メスが抱卵しなかったので人工孵卵器に移したところ1羽だけ孵化したとのこと。そして、その1羽をオスが育てているのだという説明があったところで、となりにいた女性が声をあげた。「あら、良いわねえ」と。続いて解説員が「トキは基本的にオスとメスが交代で育児をするのです。」と言ったところ、くだんの女性がまた声をあげた。「あら、本当に良いわねえ…」と。それも夫と思しき人の方を向いて言ったので面白かった。佐渡はなんともほのぼのとしているのだ。やっぽり良いなあ。