平成29年6月26日
 いよいよ今夕、フィンランドのタンペレ市に向けて出発だ。今回で6回目のOECDの会議。顔見知りの参加者に会えることを期待している。29日の午前にプレゼンをする予定。楽しみである。
 
 そんな日なのに朝から大失敗をしてしまった。いつもは5時前に自然に目が覚めるのに今朝は寝坊をしてしまい、6時12分に次女に起こされるという始末。昨夜、DVDを見ながら転寝をしていたのだろう、いや、していたのだ。夜中の1時半に居間で目を覚まし、慌てて布団に移動したので寝不足だったのだろう。次女は毎朝6時過ぎにお風呂を使うので、僕はその前に朝風呂をすましておくというのがいつもの日課。それがお湯が張られていないどころか電気さえ点いていないのだからなあ。次女に平謝りするしかなかった。数年に一度、こんな失敗をする。いやはや幾つになってもなあ。おかげで1日中ボォーッとしていた。深夜便の機中で爆睡か?
平成29年6月10日
 今日は少しばかり頑張った。議会の質問に対する答弁づくりを昨日はテンポよく仕上げることができたので、もともと答弁づくりのための勉強会時間として用意されていたスケジュールがすっぽりと空いてしまい、今日一日、久しぶりのデイ・オフとすることができた。それならということで朝からいろいろと夏仕様チェンジに取り組んでみた。
 まずは、座敷と仏間の十畳間二部屋の雪見障子戸などを簾戸に取り換えることとした。昨年は7月の暑い日に汗みどろになりながらこの作業をしていたことを思えば、今日はそれほど暑くもなく取り換え日和りだったのかもしれない。最初は要領を得ず、戸惑っていたものの何とか順調に終了。やったあ。雰囲気が一変、完璧に部屋が夏仕様になる。気持ちが良いなあ。
 次は、仏壇の前の大座布団とテーブル用の座布団を夏用のものに取り換えた。この際に、押し入れに仕舞うことになる冬用の座布団を天日干しすれば良いのだと気づき、短時間だったけれども日当たりたっぷりの外に干すことができた。そして、簾戸と座布団の取り換えで埃っぽくなってしまった部屋をルンバ2台と愛用の箒でしつこいくらいに掃除する。室内全部の空気が静かになった感じが良い。和室はこうじゃなきゃ。(でもルンバの力を借りながら和の魅力を語る?)
最後は、調子に乗って、汗をかきつつ挑戦した蒲団の交換。半年間使ってきた冬用布団を夏用のものにチェンジ。そう言ってしまえば簡単なことなのだけれども、半年に一度のこの作業がなかなか大変。5、6年前には娘たちと僕のものとの3組の布団の交換にほぼ半日を費やしていた。今日は順調にこなして、勢いに乗ったところで冬用の布団をクリーニング店に持ち込むことまでできた。終わってみると実に気持ちが良い。今夜からは爽やかな夏用布団で眠れます。(それでもナイトキャップが必要か?)
  こうやって衣替えをするのが我が国の「和の文化」というものだ。大和の国がらの底流を流れている移ろう季節感。それを感じることができる環境を維持することが大切である。簾戸に替えることや季節に合わせて調度品や寝具を取り替えることは、面倒で億劫でもちゃんとやることが大和心を守ることにつながると僕は思う…。季節感を大事にするということ。
 季節感を感じるための衣替えをいいことにして、夕食の準備の前から今の今までずっと飲み続けていいのかな?

平成29年6月9日
 今夜は素晴らしい満月である。数日前からストロベリームーンになると一部で騒がれていたので、何とか今夜は雨雲も群雲もなく晴れ渡った夜空に光り輝く満月が見えないものかと期待していたのだが、期待通りの雲一つない夜空になった。そして満月である。しかし何度も目をこすったり、瞬きをしたりしてみたけれど、ストロベリームーンには見えない。何度も言うけど素晴らしい満月である。でも今まで何度も見てきた満月なのである。赤くもピンク色にも見えないし、その気配さえ感じられない。どちらかと言えば金色に輝く満月なのである。そりゃそうだよね。何でも面白く話題作りをしたい勢力は昔から、そして今も何処にでもいるものだ。どこかで見つけてきたストロベリームーンなどと言う言葉に触発されて今日の満月はすごいのだ!!と軽い気持ちで言ったことが広がったというところかな。そんな週刊誌的な話題に乗せられて軽薄にも月夜待ちをしていた僕だけれども、久しぶりに素晴らしい満月を見ることができたのだから良かった。たまには軽薄な浮かれ反応も良しとしますかな。しかし、もうすぐ65歳になろうとしているのにこんなことで良いのかね。いつまでもワラビシイ身が恥ずかしい…。
平成29年6月2日
 先に上京した折に、ときどき訪ねることのある天ぷら屋で昼食をとった。ご主人もおかみさんも親しくさせてもらっているので話が弾んだ。この店はいつ伺っても店内がきれいに磨かれていることが気持ち良い。カウンターの清々しい木の風合いが何とも言えない。カウンター席に座るだけで訪ねた甲斐があると思わされる。単にきれいに掃除されているというのとはチョット違う清々しさを感じるのだ。神社やお寺を訪ねた時に感じることがある清々しさとでも言えば良いだろうか。何かの本で読んだ記憶があるが、「病院の清潔さと神社やお寺の清潔さは違う」という言葉を思い出した。病院の清潔さは殺菌や消毒だが、寺社の清潔は清浄という感覚なのだと思う。人の手で意志を込めて拭き、磨くと対象の物に「気」が吹き込まれるのだろうと思う。薬を使って殺菌や消毒をしても伝わらないが、人の手によって心を込めて磨かれると伝わる「気」が清浄さを生むのだろうなあ。
 子供の頃、ときどき食事の前に御膳を拭かされた。そして先ずは台拭きのしぼり方が悪いと叱られた。次には「撫でるのではなくて拭くのだ」とまた叱られた。そんな記憶がある。子どもの僕には分からなかったけれど、台拭きを動かすだけじゃなく、綺麗にしようという気持ちを込めて拭かなくてはならないということだったのだろうなあ。この歳になるとその頃の親の思いが良く分かる。日本人なら失くしてはならない感性なのだ。どんなことにも気持ちを込めるということか。
 なじみの天ぷら屋のカウンターが心地よいからと言って、ここまで話を拡げるのはどうかな?という気もするけれど…。まあいいか。