平成31年2月24日
 先日のブログの冒頭で紹介した「クラウディア最後の手紙」について書きたいと思う。
 終戦時に親子で満州に住んでいた蜂谷弥三郎という日本人が軍人ではないのにスパイの罪でソ連軍に連行されてしまう。残された妻と乳飲み子は着の身着のまま何とか帰国したものの、蜂谷は戦後52年という気の遠くなる年月を大変な困難にさらされながらかの地を転々としながら生き抜いた。抑留された日本人のうちの多く人が現地で死んだものの、それ以外の人達は時間をかけながらも何とか帰国することができた。しかし蜂谷はいつまでもスパイの容疑がついてまわり、絶えず官憲の監視下にあった。極寒の地で彼が生きることができたのは彼の強い精神力と物事を吸収して自分の業にする器用さと誠実な生き方のお蔭であった。そして苦渋の選択としてのロシア国籍の取得と、健気なロシア人女性クラウディアとの出会いがあったからである。一方、日本では生き別れた彼の妻の久子が彼の生存を疑わず、彼の帰国を信じて母一人娘一人で待ち続け苦労しながら生きてきた。そして52年の時を経てついに消息が繋がるのであった。結果として大変な葛藤と逡巡、そして決断が待つこととなる。帰国することは長く共に苦労してきた愛するクラウディアとの決別を意味し、帰国しないことはずっと彼の帰りを信じ母と娘とで生きてきた愛する妻子を捨てることとなる。そして日本には彼の帰国を待ちながらも亡くなってしまった父母が眠る故郷がある。彼は長く辛い葛藤の末に帰国を決断したのであった。
 先ずは乳飲み子の頃に別れたきりの娘が彼の地を訪ねる。娘を抱きしめる彼の思いをさらに大きな気持ちで抱きしめるクラウディアの思いに感動させられる。彼の帰国の手続きが進む中で故郷では久子の身体が病んでいく。残された時間を惜しむようにみんなの気持ちがはやるけれど作業には時間が要る…。そして、ついに彼の帰国が実現し、鳥取駅頭で蜂谷と久子との言いようのない深い思いのこもった抱擁がかなう。こんな劇的な人間劇が現実のものとしてあるのだろうかと圧倒された。しかし一方ではクラウディアの失意と喪失感と哀しみがあったのだ。なんという悲劇だ。
 やがて蜂谷のもとにクラウディアからの手紙が届く。この手紙の一部を切り取って紹介したい。涙を禁じ得ない手紙である。
 「この素晴らしい日に、貴方に贈りたいものがあります。それは心の自由です。あなたの心がふたつに引き裂かれないように、早く私から離れて、ただただ一途に久子さんのために尽くしてあげてください。これからは、お互いになるべく手紙を書かないように努めましょう。早く私を忘れて、あるだけの愛情を久子さんやお子さんに尽くしてあげてください。私は今日まで貴方と共に暮らせたことを心から感謝しています。ありがとう。」
 蜂谷は久子との暮らしを慈しみながら、クラウディアとの文通や電話を定期的に続け、周囲の協力も得てクラウディアの訪日を4回実現することもできた。彼らの夫婦愛や家族愛の深さに打たれるばかりである。人の愛とは深いものだ。

 2007年、久子90歳で死す。2014年、クラウディア93歳で没す。2015年、蜂谷弥三郎96歳で逝く。愛は強し。合掌。
平成31年2月17日
 ある本で「クラウディア最後の手紙」という物語を知った。戦後51年間、日本への帰国が許されずクラウディアというロシア人女性と夫婦として暮らしてきた日本人がずっと母一人娘一人で夫の帰りを待ちながら苦労してきた日本人妻と再会がかなったという物語である。映画「ひまわり」のマルチェロ・マストロヤンニのような人生を紡いできた日本人がいたということだ。
 この物語については後日改めて紹介することとして、今日は森鴎外の短編集について書きたいと思い本稿となった。まったく突飛な展開だと思った読者が多いに違いない。僕自身も意外な展開に驚いているのだから。
 「クラウディア最後の手紙」についてある人に語ったところ、それ鴎外の短編、「じいさんばあさん」に通じるね!と教えられた。不明にも森鴎外のその小説のことをまったく知らなかったので大恥をかいた次第。さっそく鴎外の短編を幾つか編んだ文庫本を取り寄せて「じいさんばあさん」を読むこととなった。それなりに唸らさせられる話であった。しかし、今日僕が書きたいことはその短編の内容ではない。買ったついでにと、その文庫本を通して読み終えた後の驚きについて伝えたいのである。結果として、「山椒太夫」、「最後の一句」、「高瀬舟」、「魚眼機」、「寒山拾得」、「興津弥五右衛門の遺書」、「阿部一族」、「佐橋甚五郎」などを読むこととなった。生意気な中学生だった僕がかつて走り読みした作品もあれば初めて読んだものもある。あらためて森鴎外の知識と教養の深さに完膚なきまでに叩きのめされた。7歳から9歳まで漢籍を学び、10歳からドイツ語を学び、12歳から第一大学区医学科(今の東京大学医学部)予科で学び初め、22歳でドイツ留学という英才である。いや天才である。それにしても彼の漢籍の知識と深さははかり知れない。淡々と静かに綴られる文章でありながらなんという奥行きであろうか。吾が身の非才を恥じ入るのみである。同じ森氏でありながら彼我の違いを思い知らされ落ち込んでいる。天才とはかくや!ということだ。
 中学生の頃に読んで以来久しぶりに「高瀬舟」を読んだけれど、改めて足るを知ることの意味を考えさせられた。
 その割には、昨日までのスマトラ島への出張中、アルコールの出てこないレセプションに不満を言っていたのは誰でしたかね。足るを知れば分かろうものを…。疲れていることもあり、凡人はせめて今夜はおとなしく寝るとしますかな。
 昔、「読まずに死ねるか!」と言った読書家の芸人がいたけれど、今夜の僕は「飲まずに寝れるか?」と言ったところか。

(オウガイのオウの漢字が誤っていることが悲しい。何故かホームページビルダーを使ってアップすると文字化けしてしまう。古いソフトをいつまでも使っている哀れか。お詫びします。)







平成31年2月1日
 一昨日、雪よ来い!と書いたら早速来ました。自宅の周辺はまだ除雪をするほどのこともないがおそらく山手では除雪車が出ていると思う。今はもう雪がやんでいるのでわが家の除雪機はまだ出動せず。まあいいか。
 2月に入ったので早朝からお雛様が描かれた小さな屏風と男雛、女雛の人形を飾った。かなり寒かったけれど玄関が急に春になったようだ。今日がお雛様を飾りだす日として伝統にかなっているのかどうかは知らないけれど、毎年2月の頭にこの作業をする。僕の中での歳時記である。季節感である。誰も訪ねてこない玄関なんだけど、今日から1か月余の華やぎを楽しむこととしよう。