平成27年4月15日
 抽象画家の篠田桃紅さんが「103歳になってわかったこと」というエッセイを出版されている。103歳の達観がそうさせるのだろう、淡々と生き方や人の価値について述べられている。10年ほど前に市内のデパートで作品展があり、その際にお会いしたことがある。「抽象画の魅力は言葉のいらないところだ。」と話されたことを思い出した。言語の違いを乗り越えて感性を共有できることが抽象であり、その抽象絵画をとおして国籍・言語を超越したコミュニケーションが生まれるのだという。もっとも感覚の鈍い僕ではコミュニケーションが取れなかったのだけれども…。いずれにしても相変わらずお元気なご様子で元気づけられた。
 そのエッセイの中で「わが立つそま」という言葉を知った。そまとは漢字で杣と書くらしい。落ちそうな山の斜面にある、ほんの少し平らになった場所を指す言葉のようだ。人生は山あり、谷ありである。その中でやっと安心できる小さな場所を見つけた。自分が立ちうる場所を見つけた。自分の立ち位置、それが「わが立つそま」ということらしい。はたして僕は「わが立つそま」を見つけることができるのだろうか。まだまだ62歳だからなあ。巨匠の言葉を本当に理解するには洟垂れ小僧といったところか。
平成27年4月10日
 先週、桜の開花宣言があってから一週間以上たつのに松川べりの桜はいまだ満開状態のように見える。ここしばらく異常なほどに寒い日が続いていることが桜の花を長持ちさせているのだろう。そして今日は金曜日。日中松川沿いの市道を通ったところブルーシートを敷いて傘をさしながら花見の場所取りをしている人たちを何組も見かけた。4時頃にはすでに宴会を始めている人たちもいた。桜を楽しむのは良いのだが、この寒さだからなあ。おそらくたくさんの人が風邪をひいてしまうに違いない。若いころには僕も経験したことがあるが、花見と風邪とは付き物のようなものだと思う。特に花冷えの夜は気を付けなければならない。酔っていて気がつかないまま風邪をひくことになる。ご注意あれ。この歳になると桜の下で宴会をしたいとは思わないものの、見事な桜は見てみたい。そんなことから外出したついでに寄り道をして県立図書館の奥にある立派な桜を見てきた。ここ数年、毎年日を選んで足を運んでいるが立派な枝ぶりの桜である。エドヒガン桜だと聞いたが樹齢150年程だと言われている。もう数日間は大丈夫だと思うのでお勧めします。宴会をするような場所じゃないので風邪をひくことはありません。
平成27年4月6日
 エンジン01が終わった。3月の27日から29日までの期間、多くの講師の皆さんと二万人を超えるオーディエンスの皆さんが様々な形で時間を共有できた。多くの富山市民が知的好奇心を刺激されたのではないかと感じる。同時に発信力のある講師の方々に富山についての理解を深めてもらったことの意味も大きい。いずれにしても大成功だったと思う。
 さて、そのエンジン01の沢山あった講座の中に、脚本家の中園ミホさんが講師をつとめる講座が何コマかあったらしい。その中で、中園さんが若かりし日の恋愛談義にふれ、富山の男性と交際していたことがあり、その男性と結婚したいと思っていたのに上手くいかず別れてしまったということ、そしてそれ以来富山とは距離を置いて生きて来たと語ったと聞いた。さらに中園さんは、今回、エンジン01のために富山で講師をつとめることになったことから、かつての恋人であった富山の人の現況を調べてみたと続けたらしい。そして、その彼は富山で結婚をしていて、現在は富山で大いに活躍しており、会場の聴衆もその名前を出せば知っている人だと発言されたらしい。そんなことがあったとは全く知らなかった僕のところに、数日前にそのエピソードを知らせてくれた女性がいて、ひょっとしたらその相手というのはお前ではないのかと詰問されてしまった。中園さんという人を詳しくは知らない僕ではあったが、若いころの記憶を手繰り、かつ中園さんのプロフィールなどを確認しながら、久しぶりに二十代の頃の自分をよみがえらせてみた。残念ながら、中園さんだと思われる女性を僕の記憶の中に見つけることはできなかった。おかげで若いころの交友関係を思い出させてくれる良い機会にはなったのだけれども…。
 次には、中園さんが多くの聴衆の前であえて披露したというかつての恋人はいったい誰なのであろうかという興味がむくむくと頭をもたげてくる。富山で現在も大いに活躍をしていて、かつ結構知名度もある人。それが手掛かりなのである。はたしていったい誰なのか?せめてイニシャルでも言ってくれたら良かったのになあ…。実は僕には、きっとあの人だな!と思い当たる節もあるのだけれど…。はたして真相は如何に。興味がつのります。