平成17年9月28日
 最近、自分の涙腺が緩んできていることに気付かさせられることが多い。先日、いくつか年長の皆さんと一緒に酒を飲んでいた折も、若い音楽家が演奏してくれた「見上げてごらん夜の星を」を聞いていて目頭が熱くなった。別に悲しい思い出があるわけではなくて、静かに聴いていただけなのだけれど何故かしんみりとしてしまったのだ。心が開かれて素直に感動したということか。もっとも曲の歌詞とは関係なく娘たちのことが頭に浮かび、元気で明るくいて欲しいとか、あまり悲しむことがないようにいて欲しいとか思って聞いていたのだから、子離れがうまくできていない酔っ払いオヤジの感傷だったのかもしれない。
 数日後にはTV番組の「田舎に泊まろう」というのを見ていて、出演者がお世話になったお礼を言いながら、ずっと「さようなら」と手を振っている様子に涙が出そうになった。自分でもなんでこんなことで‥‥と思ったが、そうなったのだからしょうがない。やはり歳のせいか。この調子だと80歳になった頃には一日中泣き続けている涙腺過敏オヤジになってしまうかもしれないが、それもマアいいか。
平成17年9月13日
 一昨日の総選挙の結果には驚かされた。自民党の圧勝振りにも驚いたのだが、それよりもそのことが数日前からマスコミの予測として流れており、かつ予測がかなり正確であったことに驚いたのである。
 いわゆる劇場型の選挙がワイドショー的な報道によって加熱し、世論の流れや風が造られていったのだろう。さらに言えば、小泉総理の言う、改革を進めるのか止めるのかという二者択一を迫る主張は単純ではあるが説得力を持っており、また「命をかける」という古臭い言葉をも新鮮なものにしてしまうブレない姿勢が若者に信頼感を持って受止められたのであろう。今回小泉総理の獲得した票数が、小選挙区制を導入してからの全ての選挙区における獲得票数としては最高得票数を記録したことがそのことを証明している。
 つまりこれからの選挙は2大政党制の流れの中で、白か黒かの選択を迫る強いリーダーシップを発揮できるようなキャラクターが求められるということか。そしてワイドショーがそれを煽ることで一定の流れが生まれてしまうと開票する前から結果が読めてしまう時代になるということか。
 地方において旧来の選挙を経験してきたものとしては違和感を禁じえないがしかたがない。僕らのやり方であれほどの高い投票率を実現できたのかと考えてみれば納得もできるというものだ。そう遠くない日にアメリカのような大キャンペーン競争の選挙になるかもしれない。
 もっとも土下座をしたり家族が泣いて見せたりする選挙よりは素晴らしいのかも知れない。
平成17年9月9日
 朝日新聞の虚偽報道問題についての今日付けの産経新聞の社説に全く同感である。サンゴを傷つけた上での捏造記事以来の反省がどう生かされたのかと首をかしげざるを得ない。
 それはそれとして、今日の報道では今度はフジテレビでやらせ番組の放送がなされていたとのこと。またNHKの山口放送局でも放送はしなかったものの台風による梨の落果状況に手を加えていたとの報道もあった。どいつもこいつも、何を考えとるんじゃア!と言いたくなる。そもそも報道という作業に編集ということが加わる以上、全ての事象が正確無比に伝えられるわけではない。どうしても記者や編集者の主観が入るからである。だからと言って最近やたらに伝えられる前記のような程度の悪い報道姿勢が免罪されるわけではない。
 もっとも、ヤラセとは言わないまでも恣意的にある一面だけを強調するような報道も多いのだから、受け手である読者や視聴者が誤魔化されずに実態を読み解き理解する能力が必要だということだ。真実が何で時代の潮流がどこに向かおうとしているのかを透徹する眼を鍛えていかなくてはならないのだ。
 気をつけていないと自分の足元で起きている報道にも色々なモノがあるのかもしれない。新聞社によってニュアンスに差がある報道がなされることは何度も経験済みだが、できれば落ち着いた報道であって欲しいと思うのは僕だけか?