平成19年1月31日
 気がつけば月末だ。明日から如月。今年も12分の1が過ぎたことになる。忙しかったが19年度予算案が概ねまとまった。ところが、そんなホッとする気持ちが吹き飛ぶ事態が発生してしまった。
 午前中の会議の途中にメモが入り、大変世話になってきた方の訃報が届いた。恩人と言ってよい方であった。良い方から亡くなるという、言い古された言葉が身にしみる。数日前に見舞った際に話せたことがせめてもの救いだが、寂しさと悲しさに包まれている。午後、慌てて弔いに行ったが、言葉が出なかった。今夜は悲嘆の夜になる。思い出をたどって飲むしかない。
 長い間のご交誼とご支援に心から感謝しつつ、命の儚さを思う。合掌。

平成19年1月24日
 昨日の夕刊に面白い記事があった。イギリスの南西部デボン州沖で座礁した英船籍の大型貨物船から流出したコンテナ約40個が近くの海岸に漂着し、近くの住民数百人が高級オートバイやワイン樽などの大量の積荷を堂々と持ち去って騒ぎになっているというものだ。今朝はテレビでもやっていて面白かった。テレビカメラの前でも平気で作業していたのには驚いてしまった。明らかに窃盗か占有離脱物横領かに該当する行為である。れっきとした犯罪である。実に堂々としていてまるで僕らが海岸に漂着した流木の除去作業をしていたときのようである。カメラに向かってコメントする様子から察するに微塵も後ろめたさなど感じていないようである。アングロサクソンと我々日本人との規範意識や行動様式の違いを実感させられる事件だと思う。類似のことがわが国で発生したとしても我々日本人はあのような振る舞いはしまい。被害を受けた者のために漂着物を収集することはあっても持ち去る者は少ないと思う。持ち去ろうとする者であっても夜の闇にまぎれてするのではないかと思う。
 このニュースを見ていて一冊の本を思い出した。会田雄次著「アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界」である。イギリス人と日本人の違いを思わさせられる良著である。一読をお奨めします。
平成19年1月15日
 数日前の某紙に「携帯の奴隷 議場でメール、注意も無視」という見出しの面白い記事が載っていた。公共の精神の尊さを謳った改正教育基本法が審議された昨年の臨時国会のさなか、本会議直前に開かれた自民党代議士会で議院運営委員会理事の議員から、本会議場では携帯電話を使用しない旨の通知がなされたとの記事であった。記事には議場でメールをしている議員の写真が何カットも掲載されており、「国会内のマナーさえ守れない人に教育を語る資格があるのか」というキャプションが付けられていた。
 僕はこの記事を読んでやっぱりネと一人ごちた。というのも昨年の4月に衆議院の国土交通委員会に参考人として呼ばれたときに驚いた記憶があるからだ。3時間という委員会の間じゅう、何人もの議員が携帯でメールをしていたのである。それは党派に関係なく与党も野党も同じ状況に見てとれた。どちらかというと若い議員に多く、一人だけいた女性議員などは両隣の議員に自らの携帯を見せてニヤニヤしていたから、余程の吉報がもたらされたのか、あるいは楽しい画像が配信されていたのかもしれない。
 もちろんその時は本会議場ではなく委員会室ではあったが、おそらく委員会室であっても議席でメールをするということは予定されてはいまい。ひょっとしたら委員会審議をしながら頻繁にメールで情報収集をしなければならないくらいに議員活動が忙しいのかもしれない。若手の議員の皆さんも大変だなあ?。
 だけど本当にそんなことでいいのかな?、少なくとも僕の知る限り、県議会でも市議会でも議席でメールをしてる議員はいないと思う。戯れにメールをしながら議席にいるどこかの議員と富山県議会や富山市議会の議員とを並べてみればどちらが健全なのかは子供でも分かる。「しっかりしてくれよ!」と言ったら言い過ぎか?