平成27年11月16日
 パリのテロによる被害者の無念を思うとやり切れなさが募る。被害にあった方のご冥福を祈ります。鎮魂にはならないものの、パリに思いをはせながら廊下の絵を「パリの秋」から「パリの冬」に架け替えた。画家の戸出善信さんもパリ在住である。ご無事を祈りたい。
 朝はそんな感じで過ごしていた。そしてもう立ち上がることさえできなくなっている寝たきりの猫の餌を新しくしてやった。もう2日以上水さえ飲めないでいる。今日か明日に何かが起きるなと思いながら家を出た。午後、獣医に見てもらうために帰宅してみると既に冷たくなっていた。この二日間、ずっと気持ちよさそうに眠り続けていた果ての死である。安らかな寝顔のまま亡くなっていた。苦しまなかったことが救いである。わが家の一員になってから24年間が過ぎている。恐ろしく長寿の猫だったのだなあ。今夜は娘たちと一緒に思い出に浸ることとしよう。パリのテロがなかったとすると今日はフランスのトゥールにいた筈である。僕の予定が変わって比較的に時間が取れる日になったことを察して逝ってくれたのかも知れないなあ。安らかに眠れ。
 
 
平成27年11月15日
 昨日は危機一髪であった。パリでこんなに大規模なテロが起きるとは誰も予想できないことなので当初の予定どおり富山発の一便で羽田まで向かった。娘たちがパリで銃撃事件が起きたらしいから行かないほうが良いのではとアドバイスしてくれたものの訪問先との約束もあるからと予定どおりに家を出た次第。富山空港でパリまでのチケットを発券してもらい、バゲージもパリまでスルーで預けて国際線ターミナルまで向かった。途中に得た情報では単なる銃撃事件ではなくてテロであるらしいとされていたので、ターミナル間の移動中にキャンセルして出発しないことを決断。パリ行きの搭乗予定の便は予定どおりに出発するとのことではあったが敢えてキャンセルの手続きをした。結果的には良い判断だったと思う。時間が経過すれば様ざまな情報を得ることができるのでキャンセルが当然だということになるのだが、不十分な情報の中での判断は危機管理意識が求められる。荷物をフライト便に預けた後であっても、チケットが発券済みであっても、キャンセルの決断を躊躇しなかったことは結果的に妥当であった。今後の糧になる経験ができたと思う。それにしてもパリは大変なことになっている。テロとの戦いはどうなっていくのであろうか。世界中が怒りと不安につつまれてしまった。「文明の衝突」どころではなくなってしまった。我々はこの混乱に対して何をなすべきなのだろうか。難しい時代である。
平成27年11月6日
 ここ数日は立山連峰を見晴るかすことができる素晴らしい天気が続いた。晩秋から初冬にかけて、こういう日が多くなる。富山の良さを、本当の魅力の一端を感じることのできる大切な時節なのである。この時期から12月の初めまでの短い期間を大切にしたいと思う。夕方の陽光が長くなる時期なので運が良いと赤く染まった立山連峰を見ることができる。一年に何回しかない、希少な景色を見ることのできるチャンスを逃したくないと思う。そんな時には、富山方式ということにしてどんなに重要な会議でも中断して山を眺めるルールを作れたら良いのだけれども。まあ、天気の良い夕方は急いで仕事をして「赤い山脈」を見る機会を逃さないようにしましょう。

 ところで、不明にも今日まで知らなかった言い方に出合った。「超高齢、タシ社会」という言葉である。今日出席したあるシンポジュームで主催者や来賓の挨拶の中に複数回出できたので「おやっ」と思った次第。少子高齢化の時代が深刻化し超高齢タシ社会になると言うのである。少子化の先に多子社会が来る?といぶかしく感じながら聞いていたのだが、挨拶の切れ目で隣の方に尋ねてみて意味が分かった。多子社会ではなくて多死社会のことであった。「超高齢多死社会」という言葉。不明にも今日初めて知った。調べてもらうとかなり前から使われているとのこと。つくづくとわが身の不明を恥じる。それにしても多死という言葉には驚いた。多死社会ねぇ〜。僕の語感には合わないけれど、どうも広く使われているらしい。日本語としてどうなんだろう…。あまり使いたくはないけれど…。あ〜あ…。