平成27年6月26日
 文芸春秋社の知り合いの編集者からすごく良いエッセイ集を送ってもらった。富山の縁故者である亡き久世光彦氏の「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」という本である。久世さんの教養の深さ、知識の豊富さ、知的水準の高さ、何よりも感性の輝きに驚かされた。とてもかなわないなあと思わされる。すごい人だなあ。
 
 その本にまとめられているエッセイのうちの多くの作品に感動させられた。飛行機の中で読んでいて涙を禁じえず、ずっと俯いていたくらいだ。マイ・ラスト・ソングとは、死ぬ前に最後の一曲を聞くとしたら何を聞くのかという悩ましい問いに対する答えを模索しているエッセイなのである。一曲に絞りきれないまま、名曲の思い出を語り続けるという素晴らしい構成になっているエッセイ集なのである。

 久世さんが選んだラスト・ソングの候補119曲の中に「おもいでのアルバム」という曲があった。何ていう曲だろうと思いながら読みだしたエッセイであったが、そのうちに僕のまなこは涙で覆われ、活字を追うことができなくなっていた。その曲とは。

   いつのことだか 思い出してごらん
   あんなこと こんなこと
   あったでしょう
   嬉しかったこと 面白かったこと
   いつになっても忘れない

というものである。そんなに昔からある歌ではないが、幼稚園や保育園の卒園式で歌われている。子供たちがもうすぐ一年生だと期待に胸をふくらませながら大きな口で歌っているあの歌なのである。僕の子供たちの卒園式でも歌っていた。僕は今もメロディーを覚えている。思い出の曲なのである。
 僕の長女が年長組のときに次女が産まれた。そして一か月後に妻の病気が発現し、家族の生活は一変した。妻は病床で病と闘い、長女は寂しさを我慢しながら、まるで大人のように家族の一員としてふるまってくれた。僕は僕で、長女との生活を頑張り、妻の病室に通い、産まれてすぐに妻の実家に預けた次女のもとにも通った。そんな日々が半年間続いた後で、妻は奇跡的に回復し帰宅することができたのであった。そんな時間の経過の後で巡りきた長女の卒園式。その卒園式で大きな口を開けて長女が歌っている姿を見て、僕ら夫婦は涙を禁じることができなかったのである。「あんなこと こんなこと」が「あったでしょう」と歌う姿を今も忘れられない。それから6年後の次女の卒園式。同じようにこの歌が流れた。僕ら夫婦は次女との思い出にひたり、そのうえで長女の記憶も重ねて、次女の歌声を聞きながら人目をはばからず泣いていた。
 そして今、妻はいない。僕の日々にも、家族の歴史にも「あんなこと こんなこと」があったのだなあと思っている。「嬉しかったこと 面白かったこと」もあったけど、寂しかったことや悲しかったこともいっぱいあったのだ。そうやって人は生きていくのだと思う。子供たち、頑張れ!!!! 君たちの時代なのだから! 

   一年じゅうを 思い出してごらん
   あんなこと こんなこと
   あったでしょう
   桃のお花も きれいに咲いて
   もうすぐみんなは 一年生

 この歌の素晴らしいところは、最後は明日への希望があふれる笑顔で別れの歌を歌うところにある。と、思う。



 
平成27年6月25日
 予想どおりの反応である。○○○○軒などにあらかじめ働きかけがあったことの確認はとれているのだけどなぁ…。まあ、いいか。だけど、仮に何の下交渉も無かったのだとしたら、それはそれで問題じゃないのか。まったく瀬踏みをしないで川を渡るような仕事ぶりじゃ拙いと思うんだけどなぁ。
 
 僕らは富山の食文化を深め、その水準を上げていくことが重要だと思っている。だからこそ、クッチーナ・イタリアーナなどの事業に取り組み、シェフたちとともに富山イタリアンのアピールに頑張っているのだ。イタリアの料理教育機関や食科学大学などとの連携も始まったところである。地力を上げて吸引力を付けていくことを目指しているのだ。ブランド力で誘客しようとするベクトルとは違うのだ。ブランド好きは“ざいごくさい”と僕は思うけど、まあ、いいか。


 さて、他山の石としなきゃと思う事案に考えさせられている。
 新設なのにファールチップで電車が止まる球場とか、イタリアで聞いた話だが、新造なのに水に浮かべてみたら橋に頭が使えてしまう船とかね。本当に他山の石としなきゃ。おそらく計算値にだけ頼って設計することから起きることなのだと思う。計算値と同時に経験値も考慮に入れることが大事なんだと思う。現場で経験してきた人の意見を参考にするということだ。忘れてはいけないことである。富山市の仕事の中にもそんなことがない訳じゃない。例えば、水橋フィッシャリーナというマリーナである。こんな仕様じゃ使い勝手の悪い係留施設になってしまうと何度か意見を言ったのにもかかわらず当初の設計通りの施設として出来上がった。予算上の制限はあるとしても、もうひと工夫が欲しかったと思う。使えない訳じゃないから失敗とは言えないまでも、もっと経験値を反映すべきだったと反省している。すべてが他山の石である。



平成27年6月22日
 県が整備に着手している新富山県立近代美術館に出店するレストランが東京・日本橋の老舗洋食店「たいめいけん」であることを思い出したことで、改めて違和感を感じた。県はここ数年、県の施設につぎつぎと東京の有名店を誘致しているようだがそのすべてに違和感を感じる。フランス料理のレストラン、イタリア料理のレストラン、そして老舗洋食店。最近は改修された県民会館にも東京資本のセレクトストアが入店している。
東京の有名店が富山に進出してくること自体は、民間の経済活動としての結果であれば、歓迎すべきことだと思う。しかし、県が整備する施設に誘致するお店がなぜ東京の有名店であるのかが分からない。東京に対する憧れがそうさせるとしたら田舎っぽいセンスだと思う。県の施設なのだから無料の駐車場も附置されている。お客の立場に立てば有名店が富山にできて駐車場もあり使い勝手が良くて大歓迎ということになるのかも知れないけれど、それってやっぱり田舎っぽい発想だと思う。そんなお店ができたとしてもそこに東京からの多くのお客を呼び込むことは難しいだろう。足を運んでいるのは富山人だけということになるのじゃなかろうか。だとしたらそもそもの発想が逆転していると思うのだが…。誘致するとしたら富山のお店こそ対象とすべきじゃないのか。そうじゃなかったら既存の富山の営業店に対して民業圧迫の色彩が強くなると思う。富山にも東京からお客を呼べるような店はたくさんあるじゃないか。エンジン01のときの夜楽をやった時の各レストランは多くの文化人の皆さんから高い評価をいただいた。そんなお店こそを誘致すべきじゃないのか。あるいは県の施設だからこそ県内のシェフたちの技術の向上の場として生かすべきじゃないのか。そうやって全国から誘客を図れるような食文化を醸成していくべきじゃないのか。たまたま公募をした結果として東京の有名店になったのだというエクスキューズは通じない。これだけ続くからには誰かが仕掛けているのに違いない。その仕掛けに違和感を感じるのである。おそらくこれからもその仕掛けが続いていくに違いない。今度はさしずめ有名老舗ウナギ店などを考えているのだろうかねぇ…。地方創生だと口にしながら、心は東京志向ということか。