平成19年6月29日
 広島高裁での山口県光市母子殺害事件の差し戻し審の報道には驚いた。遺族を前にして、ドラえもんだとか死体再生の儀式だとか荒唐無稽なことを証言した犯人の少年は(いやすでに少年ではない立派な成人だ。)、もともと唾棄すべき悪党だから、悪あがきで何を言い出そうが捨てておけばよかろう。問題は彼にこういう証言をさせている弁護団である。特に安田好弘弁護士の滑稽ぶりには思わず声を出して笑ってしまった。彼の態度からは法廷の場において真実を解明しようとする姿勢はまったく感じられず、犯人を死刑台に上らせないためには何をやってもいいんだと言わんばかりの傲慢さしか伝わってこない。裁判に有利になるのなら何をしてもいいんだという思い上がりである。下級審において被告の口から「ドラえもん論」などが展開されたという話は聞いていないのに、差し戻し審になって大弁護団がついたとたんに犯行当時の心理を突然思い出したのかしらん。
 死刑制度に反対し、死刑廃止を主張するのは彼らの勝手である。だからといって荒唐無稽な笑い話まで持ち出して弁護活動をしても良いということにはなるまい。いくら訴訟上のテクニックだと言っても、真実を解明しようとすることから乖離しては正義にもとるだろう。この安田という人は、真実に対して誠実であることや、人としての美学といったことを見事に感じさせない達人のような人だと思う。まったくエライもんだなぁ。この際だからと、この達人と一緒に多くの熱心な弁護士連中が集まって張り切っている様子にも感心させられる。社会の関心を集める裁判に乗り遅れてはならないのだから、正義だとか真実だとかは言っていられない。ドラえもんでもチビまる子ちゃんでも飛び出すぞ!というところか。
 死刑制度に反対だという主張は裁判の外で展開すべきである。キチンとした運動をしながら世論を動かし、法律を変えていくという取り組みこそが法曹人の取るべき態度じゃないのか。自分の主張が通らないから、あらゆる訴訟テクニックを駆使して、荒唐無稽な主張をし、結果として死刑判決の回避を狙うのだという対応は本来的ではないと思う。主張が通らないから滅茶苦茶でいいんだということではテロと一緒だと言ったら言い過ぎか。
 死刑廃止の主張と具体の裁判とは切り離されるべきであり、裁判は裁判として事実の羅列を前提としながら、現行法の枠内で粛然として判断されるものであるはずだ。死刑制度がある以上、死刑判決が下り、かつ執行されることがあることは当然のことである。そのことと死刑廃止運動とは別物でなければならない。
 たしかに弁護士として依頼者の利益だけを考えて弁護することは義務ではあろう。しかし物事には限度がある。「ドラえもん論」で死刑が回避されるとしたら被害者に対する冒とくであろう。無期懲役の二審判決を破棄して高裁に差し戻した最高裁の判断こそ尊重されなければならない。日本の司法の真価が問われている。


平成19年6月18日
 相変わらず年金の記録問題がかまびすしい。参議院選挙が目前なので選挙向けのキャンペーンに使われていることもあって、この問題の本質を分かりにくくしているようだ。この議会における僕の答弁を聞いてくれていた何人かの人から、この問題の全体像が分かりやすかったとの声が届いた。いささか横着な気もするが、多くの人の理解の一助になるならとの思いで以下に披露したい。

富山市議会6月議会 一般質問に対する答弁(抄)

まず、今回の年金問題についてどのような感想をもっているか、とのお尋ねであります。
 公的年金制度は、誰にも訪れる老後の安心と生活を支える基本であり、国民の信頼と支持があってこそ成り立つものであります。この制度は国の責任で運営されているものであり、平成14年度の地方分権一括法の施行によりまして、市町村の国民年金事務は、窓口での届出書の受付事務や相談事務等となっております。
しばしば「消えた年金」という表現をお使いでしたが、事実を誤認される恐れがありますね。全然消えていないのです。従って私は、「消えた年金」という表現を使いませんから、ご理解ください。しかし、大きな問題であります。
 結局、今回の年金記録問題の本質は、オンライン化した時の入力誤りであります。年金を受給しないまま亡くなった人、あるいは受給権が発生しなかった人の分も含めて、データが適切に処理されていなかった事が原因でございます。その結果、今よく言われていますように、誰のデータなのか特定できないものが約5千万件あると言われております。その結果、社会保険庁に対する国民の不信が増幅、増幅どころか非常に大きくなっておりますし、一人一人の国民が自分の年金、或いは、老後に対して大きな不安を感ずる、このことが、急速に広がっていると思います。
 先般、厚生労働省の総括審議官のお話を聞く機会がありましたので、そこで、詳しく伺ってまいりました。10年前に年金番号を付すということが始まった時に、全部で3億件のデータがあったようです。その際新たに1億件の番号を付していったと。残り2億件のデータが残っていたわけですが、10年かけてこの2億件の内、1億5千万件を突合して、あ、このデータはこの人のだなというふうに処理が進んできたわけです。残り5千万件残されたとこういう状況です。従って社会保険庁に言わせると、急に5千万件生まれたのではなくて、5千万件あるのは前から分かっていたと。もっと言うと、2億件を一生懸命苦労して頑張ってきて5千万件になったと。こういう、おそらく、立場なのだろうと思います。
 10年かけて1億5千万件だったものを、1年で5千万件処理できるのかという議論が当然ありますが、先ほどもお話ありましたように申請主義によって1億5千万件処理してきましたから、出てきたものだけ整理していって少しずつ減っていって5千万残ったと。わかりますね。もっと積極的に2億件を早く処理するという姿勢で取り組めばよかったところ、そうしてこなかったと。こういう現状だと思います。
 そもそもわが国の官僚社会といいますか、組織というものは、例えば特許であれ、戸籍の事務であれ、登記制度であれ、一つ一つの細かな記録をベースにしないと崩壊するような制度を、きちんと運営することに極めて秀でている組織だろうと思います。日本人の特質として読み方がわからなかったからといって、勝手に自分の読み方で入れたなどということは、常識的に考えられないと思っています。こういうことが起きたのは、長年にわたる社会保険庁のずさんな記録管理と統合作業を先ほど言ったとおり積極的に行ってこなかった、その結果によって発生したと思っております。さらには、申請主義だから年金請求時に確認、統合すれば足りるのではないかと待ちの姿勢によって流されてきた。さらに加えて言えば先ほど言いました、加入記録を積極的に調査して国民の受給権を保障しようとする責任感が、あまりにも薄かったためだろうというふうに見ています。これは、労使ぐるみで怠業してきたものだとあえて言わせていただきたいと思います。
従いまして、こういう組織は早く解体すべきだと強く思っております。
さて、今何よりも急務なのは、帰属の判明しない年金記録の解明を早急に進め、本来帰属すべき受給者や被保険者の記録に確実に結びつけて年金受給権の確保に努めることだろうと思います。犯人探しは、犯人探しでやらなければなりませんが、犯人探しで足踏みしているときではなくて、早く結果を出して国民の不安を解消すること、そして、受給年齢に達している方に漏れなく本来納めた分に相当する年金をしっかりと給付すること、この体制をつくることであります。
国や社会保険庁では本来の受給者や被保険者の記録に統合するため、全力を挙げて実効性のある対策を実施するとしています。まずは統合のためのシステム開発を行い、一年以内に徹底的に照合することや本人への年金記録の情報提供を積極的に行うなどの取り組みを進めることとしています。
先ほどいいました、1億5千万件は、待ちの姿勢でやったから10年かかったと思いますので、5千万件は、今度積極的にやれば、おそらく1年でやるという言葉は、結果としてきちんと実現できるだろうと思います。
今後国民の不安を解消するためにも、どのような対応策を実施するのか国民に納得できる説明を行いますとともに、確実に実行することにより公的年金制度に対する一刻も早い信頼の回復に努めてもらいたいと考えております。
市といたしましては、このような不安を解消していくために、市民の方々からの問い合わせがあれば、「消えた年金」というような言い方をしないで、社会保険事務所と連携しながら、加入履歴等の情報を提供していくとともに、社会保険事務所から確認作業をする上で照会があれば、市は情報記録を廃棄しておりませんので、市が保有しています過去の被保険者名簿等に基づき加入履歴等の情報を提供していくなど、できる限りの協力をしてまいりたいと考えています。