平成17年11月2日
 いよいよ11月に入った。今年も余すところ2カ月ということになる。あらためて緊張感を強くしなければならないと思う。一昨日まで11日間にわたりブラジル・アルゼンチンに行っていたのでなおさらそう思う。
 いやあ、それにしても南米は遠い。家を出てからサンパウロのホテルに着くまで約33時間を要し,帰りはブエノスアイレスのホテルから自宅まで39時間の移動であった。さすがに疲れた。なんとなく地球の大きさを実感したような気がするものの、飛行機の中で何食も食べたのでまるでブロイラーのような旅であった。
 しかし、1908年から始まった南米移住の旅に比べればあっという間の移動だといわなくてはならない。今回の訪問の目的が両国に移住した皆さんやその家族などに会うことであったのだが、移住者の大変な苦労を聞くにつけ驚くばかりであった。昭和40年ごろに移住したときでも45日間の船旅であったそうだ。ましてやその後の艱難辛苦を思えば39時間の移動に不平を言ったのでは罰が当たるというものだ。
 それにしてもかの地で活躍する多くの富山県出身者やその子孫の皆さんに会えたのは嬉しかった。両国の富山県人会が熱心に活動されていることにも驚いた。一世を中心とした日本民族の血がそれを支えているのだろう。もっとも皆さんの生活の本拠はかの地にある訳であり、日本国籍のままであっても思いは両国の国民なのだということも良く分かった。まして三世や四世ともなれば生粋のブラジル人であり、アルゼンチン国民なのである。民族と国籍とが同一化している日本人としてはこのあたりのことを誤解しないようにしなければならないと思う。現地で富山県人会の活動が活発だからと言って望郷の思いだけにとらわれてはいないということである。考えてみれば当たり前のことである。困難な時代に海を渡った開拓者の意思は強く、その視線は絶えず未来に向けられているのだから。
 他にもいろいろなことを考えさせられる旅であっただけに良い機会をいただいた幸運を思わざるを得ない。有難いことだ。