平成28年4月24日
 過日の出来事。ある居酒屋の小部屋で3人で飲んでいたのだが、やがて隣の部屋にご婦人たちが大声で話しながら入ってきた。4人のご婦人たちである。話の内容から、4人は高校時代の同級生で全員80歳であることが分かった。とにかく声が大きい人がいて(耳が悪いのかも知れない)話の内容が筒抜けなのである。最初は五月蠅いと感じていたのだけれども、内容が面白いものだから僕らも楽しくなってしまいお酒が進むこととなった。面白かったエピソードを2つ紹介したいと思う。
エピソード1
 「あんたのダンナが亡くなってから何年ぐらいになる?」
 「そろそろ13回忌じゃないかと思うがやけど…。」
 「平成何年に死んだが?」
 「何年か知らんけど、私が69歳の時やちゃ」
 「だから、それって何年前なの?」
 「何年前か分からんけど、とにかく私が69の時やちゃ。」
そこで別の人が割ってはいった。
 「あんたら分からんがけ。私ら今80やから、80から69を引けばいいでしょ。」
 「あんたそういうこと良く分かるね。それで何回忌なの?」

なんともはや…。

エピソード2
 「あんた何キロぐらいあるの?」
 「私、42キロほどやね。あんたは?」
 「私は47キロよ。○○ちゃんは?」
 「私は57キロほどかねぇ。」
 「あんた、それは太りすぎじゃないけ?」
 「あら私だって高校生のときは47キロやったよ。」

なぜいきなり高校生の時代に飛んでしまうのか分からなかったが、僕は我慢できずに吹き出していた。
丸谷才一さんのエッセイで次のような話を読んだことがある。男性は少年、青年、壮年、老年と年齢に合わせた呼称があるが、女性を表す言葉は少女からいきなり老女に変わるのだ(熟女というのは最近の造語)。青女とは言わないでしょ。女性は自らを老女だと思うまでは少女である生き物なのである。(だいたいこんな感じの内容であった。)丸谷先生の慧眼にあらためて驚かされた。80歳の女性たちが体重の話をしている時には気持ちは突然少女になってしまうのだから。そうだからこそ「あら私だって高校生のときは47キロやったよ」となるのであろう。恐るべし、80歳の少女たち。





 


 
 


 
平成28年4月21日
 今日は面白いエピソードを2題紹介したい。
 一つは昨日の出来事。上京しようと富山駅の新幹線ホームにいたところ、なんと大関豪栄道が付き人と一緒にやってきた。大関はしきりにスマホをいじっていた。顔の張りや肌の感じを見るとやはり若者だなあと思ってさりげなく観察していると、今度は横綱鶴竜が同じように付き人とやってきた。こちらもやはり若者であった。電車が到着し車内に入ってみると横綱のシートは僕の真後ろであった。横綱はシートに座るやいなやパソコンを取り出し起動させていた。よく見ると驚くことに横綱が来ている浴衣は日馬富士の名前が漢字とひらがなで書かれたものであった。横綱が先輩横綱の浴衣を着ているのが不思議であったが、きっと自分の浴衣を汚してしまい日馬富士から借りたのだろうと勝手に想像していた。豪栄道が来ないことを訝っていると大関はグランクラスを利用していることが分かった。横綱がグリーン車で大関がグランクラス利用なのである。そんなこともあるよなあと思いながらも何となく面白かった。
 2つ目は今日の東京駅での出来事。発車時間まで間があったので幾つも並んでいる椅子に腰かけていると、70歳くらいと思しき御夫婦が(だと思う)近づいてきた。男性が僕の椅子から3つくらい左の椅子に腰かけて、僕の隣に一つだけあいていた椅子に奥さんと思われる人が座った。僕が男性と変わってあげたら二人が並んで座れるなと思っていると、男性の隣の椅子の若い女性が立ち上がると僕の隣にやってきて席を交換したのであった。先を越された格好になったけど、彼女に向かって「あなたはやさしいね」と声をかけた。「二人で歩いていらしたところを見ていたから…。」と彼女。「そうだね、僕も見ていて、変わってあげようかと思っていたんだけど、こちらも変わってもらうような歳だから…」と僕。「そうですね。」と彼女。むむむ、やさしいのか残酷なのか分からない彼女であった。
 しばらくすると高齢の男性が僕らの前に立ち、「君は就活か、それならこの本を読みなさい」と言って文庫本のようなものを彼女に手渡し、去っていった。あっけにとられながらも彼女に知っている人かと尋ねると、全然知らないと言う。「見せてごらん」と言ってその本を開いてみると、宗教の教祖様のご著書であった。信仰の力は恐るべしと思わされたのであった。

平成28年4月19日
 熊本・大分の地震の状況は深刻である。亡くなられた方の多くはなすすべも無かったものと思うと心が痛む。土砂に埋まったり、倒れた建物の下敷きになるという状況は抗いようが無い。無念を思うと言葉が見つからない。ただ悼むのみ。合掌。
 大きな余震が続いていることも深刻である。自宅の被害がそれほど酷くない人までもが避難している。それほどに深夜の本震が恐怖を与えたということだろう。無事に見えるような自宅の敷地内の自家用車の中で夜を過ごすという事態は異常であるが、それほどに余震が怖いということなのだろう。終息の時期が見えないだけに事態はますます深刻化している。エコノミー・クラス症候群で亡くなる人が出たとのこと、何とかならないものか。九万人以上もの避難者がいるとの報道があったことからすればすべての避難者を対象とすることは不可能だとしても、せめて弱者や高齢者を熊本県内や近県のホテル・旅館などの宿泊施設に移すことができないのだろうか。費用を誰が負担するかという問題はあるものの、まずは緊急避難が求められていると思うのだが。快適な空間に身を置くことの代償として、家族や友人と離れるということを選択できないという心理的な問題もあるのかも知れないなあ…。
 少なくとも言えることは…、熊本県内や近隣県内にはいくらでも快適に滞在できる宿泊施設があるということだ。東日本大震災のときの広範囲な津波被害の状況では家を失った対象者があまりに多いことから一刻も早く仮設住宅を用意することが求められていたのだが、今回はちょっと違っている。もちろん自宅が全壊、半壊した被災者が沢山いるのだけれども、一方で、自宅がそれほど被災していないのに避難している人が多いという点が難しくしているのである。したがって急いで仮設住宅を建設するという解決策の議論が生じていない。そんな状況なのだが終息宣言を出すことが難しい。その結果として無事に見える自宅の敷地内でエコノミー・クラス症候群になってしまうという事態がおきている。それなら、近隣にある使用可能な宿泊施設を利用できないものかなと思ってしまうのだ。
 ちなみに、毎日朝から晩までテレビに登場するリポーターやアナウンサーは間違いなくちゃんとした宿泊施設を利用しているはずだ。自分たちはきちんと食事を取り、入浴をし、髭もそり、熟睡し、飲酒もし、ひょっとしたらクリーニング店さえ利用しながら取材しているのである。なぜなら彼らには潤沢な予算が用意されているので、惜しみなくそれを使い、例えば取材人のグループ全体で一つの施設を借り切るということをしているのである。過去に起きた中越地震や能登沖地震の際に水道部門や土木の部門の技術者を大至急大車輪で派遣した際に、市の職員の宿泊箇所の確保に苦労したのだが、そこで分かったことは現場で必要とされている働き手の宿舎の確保の先手を打ってマスコミがおさえてしまうという現実なのである。彼らはそこを根城にして東京から日替わりのようにリポーターなどを送り、洗剤の香りがほのかに香る下着に身をつつみアイロンの利いたシャツに袖を通して、歯磨きにも難渋している避難所の人たちに不躾で不遜で無遠慮で失敬でワンパターンで恐ろしく無知な質問を連発するのである。いい加減にしろと僕は言いたいのだ。自分の宿舎を被災者らに明け渡せなどという気持ちはない。せめて、必要以上に顔をゆがめて被災者を憐れむように報道するのはやめて欲しい。君たちの多くは、素晴らしい機会を得たと感じ、最高のリポートをするぞと意気込んで現場に来ているに違いなのだから。僕は、被災報道にふれるたびに自分のできることの限界を感じ無力感に囚われつつ、それでもできることをしてきた。密かに…。ひとえに、情けは人のためならずと思うからである。頑張れ熊本。大分。九州。日本。
平成28年4月4日
 富山市は遊休地等で直営で太陽光発電などの事業をしないこととしている。遊休地や体育館の屋上などを民間に貸与して民業で発電事業をしてもらい、そのうえで納税してもらうことがあるべき形だと考えるからである。減価償却が発生せず固定資産税を負担することのない自治体が民業に参入することは民業圧迫以外の何物でもない。かりに企業局などの企業会計で経営するとしても民業圧迫であることに変わりはない。例えば金沢市などが水力発電所を有していて年に数億円の収入を得ているとしても、電力の自由化に伴い様ざまな民間事業者とバッティングすることになる。市場原理にさらされる中でリスクの方が大きくなる事態も考えられる。そういう中で公営で事業を続ける意味がどこにあるのか。その妥当性を説明する責務があると思う。
 だからこそ富山市はぶれることなく民業でできるものは民間に任せるというスタイルでこれからも行くべきだと思う。