平成28年6月29日
 あまり梅雨らしい日が続かないけれど、わが家の紫陽花がひっそりと咲いているのを見て季節だなぁと思わされる。昨日から東京に出張していたが最後まで傘をささずじまい。それでもあちこちに咲いている紫陽花に目を奪われる。今日、富山に帰ってくる途中で急にライトレールの沿線に植樹した紫陽花がどうなっているかを見たくなり、昼食時間に出かけてみた。10年前に小さな苗を植えたものがさすがに見事に大きく成長している。どうやら盛りが過ぎてしまったようで鮮やかさに欠け、葉っぱも茶色っぽくなっているものが多く、見事な咲ぶりとは言えなかったものの、しばらく前には乗客の皆さんや沿線の住民に楽しんでもらえたのではないかと思う。来年は時期を失することなく鑑賞することとしたい。学生時代にわざわざ見に行った「江ノ電」の紫陽花のようになれば良いのだが。
 
 さて、昨日の農業共済組合の全国会長会議の終盤に面白いことがあった。会議の日程がすべて終了した時点で、千葉県の会長が発言を求めて、次のような内容のコメントを述べた。「今月いっぱいで千葉の会長の職を辞することとなりました。会場の皆さんには長い間、ご指導を賜り有難うございました。感謝に堪えません。わたしももうそろそろ喜寿を迎えます。これからは農業後継者として農業に従事していきたいと思います。」大体こんな内容。驚いた僕は隣の石川県の会長と目をあわせて含み笑いをしていた。喜寿になろうという年の人が、これから農業後継者として頑張る。ということは喜寿の人の親がまだ現役で農業をしているということじゃないか。そういう時代になったのだなあ。わが家の父は92歳でまだまだ現役で梨畑を作っている。僕が喜寿になるまで頑張ってもらうにはあと13年ほど長生きしてもらう必要があるので、それはおそらく無理であろう。それでも、せめて僕が古希を迎えるまで頑張ってもらいたいと思う…。元気な長寿者の時代なのだなあ。ある意味、恐るべき時代になったとも言えるが。 


平成28年6月19日
 最近、わが家の近くに新しい立て看板が立った。私有地にその所有者の方が立てたものだと思われる。その看板の文言が実にユニークで面白い。ある意味、奥が深いとも言える。誰かにその看板の話をしようと思ってケイタイで写真を撮ってきたのだが、その写真を見せることさえ待ちきれずにここで披露してしまおうと思う。その文言とは「私有地につき 通り抜け可能  駐車はお断わりいたします」というもの。私有地につき立ち入り禁止とか、車で進入するなとか、通り抜け厳禁とかならありそうなことだが、私有地につき通り抜け可能とは恐れ入りました。心が優しくて暖かい人なのだろうなあ。私有地ではあるけれど通りたい人はどうぞ通ってください、だけど駐車されると家人がこの土地を利用しにくくなるのでそれはご遠慮してくださいね、というおおらかさなのだ。ギスギスした相隣関係の話が多い中で、爽やかさを感じてしまった。暖かいなあ。こういう人に私はなりたい。

平成28年6月17日
 昨日のことである。市役所を公用車で出て某所に向かう際、ある車が側道から僕らの車の前に侵入しようとした。その時に歩道上を小学校のⅠ・2年生と思しき女の子が歩いてきたのでその車が進入を止めて停車した。そうするとその女の子が運転者に向かって、ありがとういった風情でお辞儀をして走って車の前を通り抜けて行った。当たり前のことと言えばそのとおりだが、爽やかさが感じられて良かった。いい子だな!と思わされた。例えば、小さい時から母親と手を繋いで散歩をした時などに同じような状況で母親がお辞儀をして急いで車の前を横切るということをしていたから女の子の行動にそれが現れたのだと思う。これこそが親の姿勢によるしつけだ。おそらく芝園小学校の生徒だと思うがほめてあげたい。親御さんにも伝えてあげられたら良いのだが。僕自身もいつも同じ気持ちでいたいものだと思っている。歩行者が優先だとか歩道が優先だとかということではなく、停まってもらったのだからありがとうと感じて行動することが大切なのだ。そういった姿勢が社会を穏やかでやわらかいものにするのだ。みんながそうだとは言わないけれど、ときどき、車が止まるのは当たり前だと言わんばかりにふんぞり返って横断歩道を得意げにわたっている人を見かけることがあるが…。まあいいけどね…。
平成28年6月6日
 朝の通勤途中、紫陽花の花が咲いているのを目にする。気が付けばそんな季節なのだなあ。梅雨入り宣言があったのかどうか知らないけれど、比較的爽やかな天気が続いている。気持ちも爽やかにして頑張りたいものだ。
 新しい書架を作ったので昨夜は遅くまで蔵書の整理をしていた。意外なところから手紙の束が出てきて驚いてしまった。目を通してみると、そのどれもが亡き妻に対するお礼状であった。それも、産まれたばかりの赤ちゃんに「おくるみ」を編んで送ったことに対するお礼であった。「おくるみ」に包まれた赤ちゃんの写真が添えられているものが多い。赤ちゃんの写真に和まされた。編み物やボビン・レースが大好きな人ではあったが、僕の知らないところでたくさんの若い世代の夫婦を励ましていたとはね。知り合いの女性や知り合いの奥さんが出産したと知ってから編み始めていたのだろうから大変だったろうなあ。好きなこととは言え、頑張っていたのだな。
 わが家の娘たちが出産することがあっても、「おくるみ」を送ってくれる人はいないだろうと考えると思いは複雑である…。そんな時は僕が誰かにお願いして編んでもらうこととしようか。
 
 話は全く変わってしまうけれど、昨夜怖い夢を見てしまった。頭の上の部分の頭髪が抜けてカッパのようになってしまったという夢である。何かの前兆じゃないことを祈るだけである。