平成22年10月26日
 過日あるシンポジュームで一緒にパネラーをつとめた都市論、文化論などの評論家である三浦 展(みうらあつし)氏から贈ってもらった本の中に耳慣れない言葉があった。「森ガール」という言葉である。何じゃそれは?意味が分からないので前後の文章がつながらなくて困った。前後の脈絡から推測するに、森ビルのCMガールやエレベーターガールではなさそう。また昔憧れたバド・ガールの類ではなさそう。(今年流行った「山ガール」ならよく見かけたぞ。)
 なんとなく特定のファッションスタイルのようである。ウィキペディアによればもう数年前から使われている言葉らしい。(僕は相変わらず流行りものに遅れるのである。)いわく「森にいそうな女の子」をテーマとするファッションスタイルのことだと言う。しかし写真を見てみるととても森で活動するようなファッションではなく、このまま森に入るとあっという間に汚れてしまいそうな、なんかふんわりとしたゆるいシルエットの感じ。なんでこんなスタイルが「森にいそうな」ファッションなのだろう。まったく分からない。
 「森の人」と言えばオランウータンかニシローランドゴリラのことじゃないか。あるいは「山窩」のことを連想する。いくらなんでも僕の発想が極端か。そもそも「森の人」じゃなくて「森にいそうな人」なんだよね。オランウータンはあんまりか。そうは言ってもまったく活動的には見えないスタイルがなぜ「森ガール」なの?
 更に、原宿の最先端ファッショントレンド・リポートなるものを見てみると、「外見だけではユルカジ系やナチュラル系、ロリータ系などとの違いを見分けることは難しい。見た人が「森にいそう」と思えば森ガールともいえるため、見る側に委ねられるスタイルともいえる。」となっている。それじゃ森家に住む僕は見ようによっては「森ボーイ」なのかい。「森にいそう」どころか「森」そのものなんだから。(たまたま自分の知らない言葉に「森」という字が入っていたからって滅茶苦茶な論理だなあ。)
 だとしたらわが家の二人の娘は間違いなく「森ガール」だな。二人だから森ガールズというところか。もっとも「森オバサン」も「森バアサン」もわが家にいるぞ。
 まあ、どうでも良いことではあるんだけど、あまり年齢の違わない人の書いた本の中にまったく理解できないファッションスタイル用語が出てくるとなると時代との乖離を感じてしまう。もう「森ジイサン」ということか。




平成22年10月22日
 昨日、職員組合との交渉に臨んだからだろうか変わった夢を見た。

 細井平洲や山田方谷といった人たちが登場しては世間話をしてくれるのである。備中松山藩ではこうしているし、米沢藩の取り組みがどうだとか、といった具合。その中で聞かされたある藩の話。
 その藩では領内の移動用の駕籠を最新のものにしたらしい。二人かき型の駕籠ではなく悪路にも強い四人かき型のもので、さらには複合電気動力型という代物。さすがに代金もはり千五百両。なかなか立派なものだ。今まで使っていた駕籠は江戸屋敷で引き続き使うらしい。つまりまだ使用可能ということだ。でも新しいのは気持ちがいいよね。それにしても千五百両とはね。日頃から倹約を心がけていて、御家人の俸禄も削減している中で思い切った買い物だ。四人かき型で複合電気動力型の駕籠がご所望なら、同じ駕籠屋が販売している同じ名前の駕籠の中にももっと廉価な駕籠もあるのになあ。民・百姓が不況や不作で苦しむ中で消費の拡大のために思い切ったということか。そんな大型の駕籠でなくとも領内の移動や巡回はできると思うのだが。勘定方や参議会、重臣会議などで議論はなかったのだろうか。もっともこの藩ではかつて唐土に旅した際に最高級旅籠を使ったりしているから威厳が必要なのかもしれないな。細井平洲の言う「心の壁」の問題かな。
領民の立場に立てば複雑な思いになる。
平成22年10月14日
 数週間前のニューズウィーク誌に面白い記事があった。
 アップルのCEOであるスティーブ・ジョブズが7月の末にプライベートジェットで極秘に来日して、一家で京都に滞在していたのだが、関西国際空港から帰国する際に事件が起きたというのである。出国の保安検査の際に持ち込み荷物の中から手裏剣が見つかり放棄させられたことにジョブズが激怒したという。ジョブズいわく「自分のジェット機でテロを起こす馬鹿がどこにいる。」。(まったくそのとおりである。)さらには「二度と日本になんか来ない。」とまで言ったそうだ。
 あーあ…。まったく日本の役所仕事である。係官がいったん預かってプライベートジェットの中まで持ち込むとか、うまく治める手がなかったのかと思う。そもそも手裏剣とは言えしょせん玩具の類だろう。今時、武器としての本格的な手裏剣が売られているとは思えないもの。仮に凶器になりうるとしても状況を考えればよいものを。スティーブ・ジョブズに限らず折角日本旅行を楽しんでくれた要人が気持ちよく帰国してくれることと、「二度と来るか!」と激怒して帰国するのではえらい違いだ。10年ほど前に中国の瀋陽の日本領事館に脱北者が逃げ込んだ際の領事館職員の対応を思い出した。あのときに領事館前の路上に転げ落ちて泣いているいたいけな赤ちゃんに接触するくらいの至近距離に立ちながら抱き上げようともしなかった馬鹿な外務省職員の対応である。
 関空の保安検査の係官も瀋陽の領事館職員も法や制度に則して正しく対応したに違いない。でも何か違うでしょ、と僕は言いたい。もっと全体を見て対応できないのか。色んな意見があると思うが、僕はもっと柔軟に対応したいと思う。市長に就任したときに職員に対して「法や制度にかなっているからと言ってそれで良いとしないで欲しい。もっとその先にある正義や全体の利益を考えて欲しい。」と語ったことがある。誰かに非難されても良いから、自分自身の判断で行動する姿勢が大切なのだ。目の前にいる市民の要望が実現すべきものだと判断されるのなら何とかして実現できないものかと考える。そういう姿勢が大事じゃないのか。僕はそう思うのだが。