平成22年6月25日
 去る2日に予定されていたBSフジの生放送が突然の鳩山総理の辞意表明で取りやめになっていたが、今晩8時から10時前までの時間で再仕切りされることになり午後の便で上京する。2時間近い生放送に出演するのはもちろん初めてのことだが、自分の考えを述べる時間がたっぷりあるので楽しみである。はたしてどうなることやら。

 さて、市役所が発行する証明書類の中に「独身証明書」なるものがあるのを知る人は少ないと思う。かく言う僕も昨日初めて知った。思わず、なんじゃ?それは?と口走っていた。
 特定の人間について現在時点において独身である事を市長名で証明するということである。はたして何のためにそのような証明が要るのか?戸籍の抄本では駄目なのか?疑問に思って調べてみた。
 そして一口に独身証明と言っても二種類の方式があるということが分かった。一つは、結婚情報サービス・結婚相談業者に提出するための証明書である。つまり既婚者でありながら結婚相談所などに登録した者が詐欺行為をはたらくといった事案が発生したことから、それを防止するためにそういったサービス業者に登録するためにはこの独身証明書の提出が必要だということにされているということだ。長く市町村に対して諸証明を申請する業務を生業の一部としてきたのに不明が恥ずかしいと思ったが、この証明は平成12年の法務省通知を根拠としているので僕が知らなかったのも無理はない。まあしかし、親切というか丁寧というか…。
 ちなみに、この証明は本人の氏名と、生年月日、そして本籍地の市町村名だけを記載したうえで、その者が婚姻しても民法732条の重婚禁止規定に抵触しないことを証明しているものである。戸籍抄本では本籍地の地番や両親の氏名などその他の個人情報も記載されていることから新たな証明制度を創設したということであろう。
 もう一つのほうは、外国人と結婚しようとする日本人が相手方の本国の制度に基づき婚姻しようとする際に日本の法律上婚姻要件を備えていることを証明するものである。なるほど国によって結婚可能年齢も違えば、再婚禁止期間も違う、最近は同性婚を認めている国もあるなど要件が大きく異なっているのだから、わが国の制度上結婚の要件を具備していることの証明が求められることは当然である。こちらの方は昭和31年の法務省の回答が根拠となっている。
 あらためて、すぐ身近なことでも知らないことが多いと思わされた。ところで100歳の未亡人の場合でも「独身証明書」は当然にして発行されるんだよね。
 (なお、富山市の場合証明書の発行手数料は300円です。参考までに。)
平成22年6月17日
 大相撲の賭博の事件が大きく報道されている。数日前までは力士など29人が野球賭博に関与していたとされていたが、今朝の新聞によれば65人に急増している。該当する力士の名前が公表されていないものの、琴光喜と同じように次の場所の出場を辞退することになれば休場した力士は自白したようなものだ。仮に怪我や病気で休場したとしても疑いを晴らすことは困難であろう。それよりも幕内21番の取り組みの編成ができるのだろうか。さらには翌場所の番付編成をどうするのだろうか。
 そもそも野球賭博だけが問題だということではあるまい。公益法人たる日本相撲協会に対して監督権者たる文部科学省が毅然とした対応をするとすれば野球賭博以外の賭博行為に関与したものもあぶりださなければなるまい。賭けマージャンは例外だとか花札はいいんだという訳にはいくまい。そこまで調査の対象を広げるとすると来場所の姿が見えてくる。おそらく、「そして、誰もいなくなった。」ということになるのではなかろうか。NHKは2週間にわたって子供相撲でも放送しますか。

平成22年6月3日
 いよいよ6月に入った。雨の日が多く、気温も低い日が続いていたが月が替わるのを待っていたかのように爽やかな天気が続く。外に出るのが心地良い。
 そんな気分を揺らすかのように鳩山総理が辞めた。また短命総理の誕生だ。外の国から見ている人たちには不思議な国だと映っていることだろう。日本の未来にどんどんと暗雲がかかってきているようで不安を禁じえない。経済を牽引する強い政治が求められているのに全く逆の様相を呈している。せめて富山はそうならないように頑張らなくては。
 実は昨日、6月2日の夜8時から10時までの2時間、BSフジのプライムニュースという番組に生出演する予定であった。富山市の公共交通を軸とした街づくりについてたっぷりと話すことのできるよい機会だと思って張りきっていたのだが…。午前中の鳩山辞任表明によって番組の内容が変更されることになり、やむなく延期ということとなってしまった。当然といえば当然だが、残念な結果である。いろいろな機会を捉えて露出度を高めることはそれだけ富山の認知度を高めることになるので積極的に取り組んでいる。BSとは言えキー局の2時間番組だけに次の機会に期待したい。鳩山辞任劇はいろいろと小さなことにも影響しているということ。(せっかく、かつての朝の顔であった八木亜希子アナウンサーに会えるところだったのになあ…。一国の総理の辞任劇をこんな言葉で揶揄しちゃいけないか。)
 ところで、鳩山総理の発言や言葉の使い方には何度も驚かされてきたが、昨日の辞任表明の挨拶にも不思議な言語感覚があらわれていた。「国民の皆さんが徐々に聞く耳を持たなくなってしまった。」というフレーズには本当に驚いた。そこに流れているものは自分が正しいのに程度の悪い国民は聞く耳を持たないという嘆きであろう。いい加減にして欲しいものだ。
 「誰かが徐々に聞く耳を持たなくなった」という嘆きは、不良の息子に手が負えなくなった父親とか、不倫妻に愛想をつかされた可愛そうな夫が使うフレーズだと思うのだが。少なくとも国民に向かって発するべきではあるまい。