平成20年5月31日
 告白しなければならない。ライオンズクラブの仲間に誘われてついにプレジャーボートの共有者になってしまった。と言うか、正確には二人の先輩が僕のために購入を提案してくれたようなものだ。別段、釣りをしたいというわけではなく、もちろん水上スキーをしたいと思っているわけでもない。ただ、波の静かな早朝に気分転換のために30分程度走らせてみたいだけなのだ。恐ろしく贅沢な話ではあるが…。
 去年の7月に小型船舶の免許を取得した際の目的は、秋に予定されていた富岩運河、環水公園での電動エコボートの運行実験において自分自身で運転してみたかっただけなのだが…。まさか共同購入とは言え、オーナーになるとはネ。もっとも去年の8月8日付けのこのコーナーの書き込みで、初めてヨットに乗せてもらったあとの感想を述べた後、「深みにはまる前に日常に戻らないと、船が欲しいなどと考え始めそうである。危ない思考を払拭するためにという訳ではないけれど明後日からは薬師岳登山である。山行にはまっても欲しがる物はせいぜい新しいストックくらいだから安心である。」などと書いているのになぁ。心の隅では今日の日があることをひそかに予感していたのかも知れない。困った性格である。
 ともかく、現にマリーナに23フィートの船が停泊しているのである。先日、みんなで試乗してみたがさすがに快適であった。それ以後は、子どもが欲しかったオモチャを手に入れた時のように、タオルやラジカセを船内に運び入れて楽しんでいる。生来の幼児性を遺憾なく発揮している次第である。いよいよ明日は一人で出航してみたいと思っている。離岸や沖での操船はともかく、はたして無事に着岸できるやら。いきなりぶつけちゃまずいよネ。そう言えば、19歳の夏に初めて運転免許証を手に入れて、勇んで車を運転したときは車庫入れでぶつけそうになったなぁ。はたしてどうなることやら。でも慣れるしかないのだから、思い切って最初の一歩を踏み出すこととしよう。ちなみに船名はVELOCE号と命名した。イタリア語で速いという意味。遅くても良いからまずは出港だ。ヨーソロー。
平成20年5月28日
 中国四川省の大地震の続報に触れるたびに、被害の甚大さに心が痛む。感染症の発症や、地震湖の決壊による水害の危険などが心配されているが、大きな二次災害が発生しないことを願うばかりだ。
 そういった中で、時間の経過につれ、今まで報道されていなかった現地の様子をテレビで目にするようになって来た。中でも支援物資や配給食糧を奪い合う被災者の映像には驚かされる。数日前には食料を略奪した者をトラックの上に立たせ市中を引き回ししているニュースさえあった。生きるか死ぬかと言う困難な境遇にあって、理性を忘れて食料を奪い合う様を一概に責めることはできないのかもしれないが、情けなさにとらわれ心が痛む。人は飢えの極みには餓鬼にも畜生にもなってしまうものなのだろうか。それを全否定することはできないものの、もう少し人間らしい救済方法はないものだろうか。全体にいきわたるには救援物資の量が不足しているとしても、例えば、子どもや高齢者や衰弱している者を優先するコントロールが被災者の中から自然に発生することを期待することはできないのか。
 わが国においても阪神淡路大震災や新潟地震など数多くの災害を経験してきている。もとより災害の規模の違いもある。救援体制の違いもある。今回の四川省の被災者の様子と同列に論じることはできないことは承知しているものの、どこかで日本人と、かの国の人との国民性の違いを意識してしまう。年長者を重んじ、弱者を助け、忍びざるの心を持つという精神性は日本人固有のものなのだろうか。そもそもその根底に流れるものが儒教なのではないのかと思う。儒教の原点はかの国にあったはず。にもかかわらず、配給物資を奪い合う様を見せられるとは…。一方、我々の社会においては論語の教えが様々な形で日常生活を生きるうえでの指針、教えになっている。論語はその母国、中国では生かされておらず、やがて伝わってきた日本で生きているということか。